無理のない人間らしい生活を支える#2

第1の理由は、直接固定するには壁の補強が必要だったこと。そして第2の理由は……。

玉里和子さん(仮名/84歳)は、平成17年9月に脳梗塞を発症。4カ月の入院を経て在宅で療養生活を送ることに。私たちはそのためにお住まいの環境を整備するお手伝いをすることになったのです。
退院前に主治医の先生、作業療法士さん、ケアマネージャーさんなどからの説明による身体状況を記しておくと、左上下肢に麻痺はあるものの、立ち上がり、起き上がり、歩行、移動は、何かにつかまればできるという評価で、介護度は要介護2と認定されていました。
退院と同時に通所でリハビリを続け、訪問介護を利用し、何よりも健康状態を良好に維持し、安全な日常生活が送れるよう環境を整えることが急務でした。

お住まいはマンションの10階、3LDK。状況を確認すると居間、脱衣所、トイレの入り口に15センチほどの段差はあるものの、手すりがあれば移動の安全は確保できる。トイレ、浴槽での一連の動作も手すりの設置で自立できると判断できました。娘さんとの2人暮らしですが、娘さんは仕事を持ち日中は1人で過ごさなければならないという条件もありました。1人で過ごす時間の安全確保が第1だと思いました。
住まいを見せてもらったとき、私の頭の中には壁を補強して、つまり自宅を改修して手すりを固定するという考えが浮かびました。そしてそう提案しようと。「寝室からトイレ、浴室まで距離があったから」(鶴田)です。和子さんご本人は歩行補助具(4点杖)を希望されているということでしたが、安全を確保して移動するには4点杖では転倒の危険があると考えられたからです。
ところが退院前のカンファレンスでのことです。和子さんと娘さん双方から希望を聞いて、私の思いは一変したのです。
「とにかく入院前の生活に戻りたい」和子さんは強く言い切りました。「リハビリもちゃんと続けて体力をつけて、外出もしたいし、旅行にも出かけたい。自立した生活がしたいんです。娘にもできるだけ負担をかけることなく」と。
娘さんはこう言われました。
「日中の1人の時間が心配です。いろんなサービスを利用して、できるだけ1人きりの時間を減らしたいし、自宅内での生活、動作も、できるだけ負担を軽くして楽に暮らせるように」。
娘の負担になりたくないという母親と、母親に楽をさせてあげたいという娘。とりわけ私は、「とにかく入院前の生活に戻りたい」「自立した生活がしたい」という和子さんご本人の言葉に強く打たれました。当時80歳という高齢にも関わらず、しかも脳梗塞の後遺症を得てもなお、前向きに、意欲的に生きて行こうという強い意志に、自分の考えの安易さを思い知らされました。移動の安全確保には壁を補強して手すりを取り付けて対応する。ご本人の意志を確認する前に、自動的に決めつけていたのではないか。それがご本人にとっても一番楽だ、と。
「自分の足で、自力で移動すること。それが入院前の生活に戻るということ」(和子さん)
言葉の意味を深く考えてみました。そして気づいたのです。いえ、和子さんの強い意志に裏付けられた言葉に気づかされたのです。負担をかけない、かけたくないという思いは、楽をするということではなく、少々きつくても体力の回復、増進に努めることで、ご本人の願望をかなえるためにどのようなサポートをすればいいのかを、治療、リハビリ、福祉用具が一体となって考えるべきだと思いました。
「手すりに頼るのは自力で立ち、歩けるようになるまで。作業療法士さんは転倒の心配があるからとおっしゃいますが、体力を回復できればいいことでしょ。いつかは手すりに頼らない元の生活に戻れるよう頑張ります」
つまり、自立できるようになれば手すりは必要ないということです。
「それに……」和子さんは言葉を続けました。「友人や知人も多くて、私、けっこう社交的なんですよ。来客も多いし玄関、廊下、居間の壁には手すりをつけたくないの。今は必要だとしても、自立できるようになったらはずせるようにしてほしい」
これが第2の理由でした。そうして手すり(ベストポジションバー)の貸与が決まりました。

退院後、自宅に戻られた和子さんは、リハビリに意欲的に取り組みました。
「1日でも早く手すりに頼らず4点杖で移動できるようになりたい。その一心で頑張ってますよ」
笑顔を見るたびに、和子さんが元気を取り戻しつつあることがわかります。

私たちは和子さんの事例を通して、「無理のない人間らしい生活の回復」という観点について学び、実践することができたと考えています。
貸与した手すりの返却の依頼はまだですが、心身ともに健康的な生活を送られているのは確かだと言えるでしょう。