いくつもの「イヤ」を乗り越えて#4

琴江さんの身体状況を知って、無理もないと思いました。5年前に転倒して入院。幸い骨折などは見られませんでしたが、以来腰痛と膝の疼痛に悩まされてきました。そして脳梗塞です。大事にはいたらなかったものの右上肢に軽度の麻痺と構音障害が残りました。しかも90歳という高齢です。ただでさえ体力の衰えを感じずにはいられないのに、軽度とはいえその後遺症は琴江さんの日常に大きな影を落としたに違いありません。

退院直後の琴江さんは「なにもできない」と自身のことを決めつけてしまいます。ご家族の話では、以前は社交的でお友だちも多かったそうです。そんな方に軽度とはいえ後遺症がある。どれほど自尊心が傷つけられたかと思うと胸が痛くなりました。
「なにもできない」は、いつしか「なにもしたくない」に転化していきます。外出したくない。人と会いたくない。障がい者となった姿を人に見られたくない。だからデイサービスや通所リハビリにも行きたくない……。
身体状況でいうと、要介護2。高齢ではあるけれど意欲と適切な支援があれば、まだまだ自力でいろんなことができるはずでした。しかし琴江さん自身が、自分の身体状況を受容できず、その結果としていくつもの「イヤ」があり、生活全般に対する意欲が低下するという構図でした。

そこでケアプランでは、歩行時の安全を確保するためにリハビリを実施し、ADL(日常生活動作)を維持すること。さらに日中1人のことが多いので外出機会をつくり、他者との交流ができ楽しみが持てるように支援することなどを目標としました。
最初に問題になったのが自宅内での移動です。まず車いすに抵抗感がありました。「いかにも障がい者みたいだ」と。では居室から、トイレまでの移動の安全をどのように確保するのか。琴江さんは、おむつはもちろんポータブルトイレの使用も「イヤ」だと拒否しました。琴江さんの自尊心が許さなかったのです。はじめて「自分の足で歩きたい」という前向きな意思表示がありました。
それを受けて最初に交互式歩行器を使って「歩く」という方法をとりました。その使用に慣れてくると、もっとスムーズに「歩き」たいという意欲が出てきました。「なにもできない」「なにもしたくない」と後ろ向きだった琴江さんでしたが、歩行器を使って「歩く」ことができ、「できない」が「できる」という自信に変わったのでした。
スムーズに「歩く」ために交互式歩行器から、ホイールを装着した歩行器に替え、さらに自分で立ち上がるための用具として昇降座いすを使うことに。琴江さんは、福祉用具の利用で、自力で立ち上がり、自力で移動できるようになったのです。

できないと思い込んでいたことができるようになる。それは大きな可能性を琴江さんの中に呼び起こしました。外に出てみよう、デイケアにも行ってみよう……。「歩く」ことは、コミュニケーションにもつながっていったのです。最近ではデイケアに通って言語聴覚士の指導のもと発語のリハビリを受けられているということです。
あれほど人に会うのを「イヤ」がっていた琴江さんですが、近所の人たちが遊びにきてくれるようになったことをとても楽しみにしているそうです。ご家族の話では、友だちとおしゃべりがしたいと意欲的になられているそうです。

「次は車いす。ちょっと遠出もしてみたい」
琴江さんは笑顔でそう話してくれました。
琴江さんを見ていて思いました。いくつもの「イヤ」は後遺症によって傷つけられた自尊心の叫びだったのです。そして自尊心とは、人が人として生きてゆくという意味そのものだったのです。
私たちが提供する福祉用具は、介護を受ける人々の喪失した自信、傷つけられた自尊心を恢復するために大きな支えとなっています。そして、そのことで私たち提供する者は喜びと誇りを得るのだと確信しています。