「苦労」と「喜び」と「達成感」#8

退職を決める前、私は住宅改修の工事を担当していました。何らかの病、事故でこころならずも障害を得たご利用者の、在宅での暮らしの安全・快適の確保はもちろん、福祉用具を導入するための基礎となるとても大切な仕事だと誇りを持って毎日汗を流していました。なによりその仕事が好きだったのです。
ところが平成20年3月半ば、4月1日付けで営業担当へ異動という内示がありました。それまで私の目に映る営業の仕事というのは、「とてもきつい仕事だ」「いろんな人たちとの連絡調整や合意形成が大変」「苦労が多いのに報われない」などとこぼす営業職の同僚たちを見ていて、営業に異動するのははっきりと「嫌だ」と思いました。
私には趣味がありました。バイクです。仕事で少々嫌なことがあっても、晴れた日に少し遠乗りすると、全部忘れられる。私はこの趣味をなんとか仕事にできないだろうかと常々考えていました。そこに突然の異動の内示。
「ひょっとするとこれは潮時かもしれないな。好きなバイクを仕事にしよう」
そう決めて、3月20日付けで退職する旨、会社に申し出ました。
「本当にいいんだな」
上司はそう言って、あっさり辞表を受け取りました。もうちょっと引き止めてくれるかなとも思っていましたが……。少々自分が甘かったようです。
そのことで1つわかったことがありました。住宅改修の仕事を自分個人の誇りだと思い込んでいたのですが、実際には私は会社全体の誇りの一端を担っていたにすぎないな、と。そして考えました。バイクを仕事にして、それが誇りにつながるだろうか。

退職した翌日、いや、その瞬間からかもしれません。福祉現場の仕事のことが頭から離れませんでした。
数えきれないくらいの現場に入り、数えきれない工事を手がけてきた。
「お疲れさま。ありがとうございました」
工事が終わると決まって、ご利用者ご本人、ご家族からそう言っていただきました。
「あの手すり、本当に助かってますっておっしゃってましたよ」
「トイレの段差を解消して、車いすで出入りできるようになって、またトイレで用を足すことができるようになってうれしいって」
モニタリングに出向いた担当者、営業担当者が、そんなふうに報告してくれるたびに、本当に誇らしかったしうれしかった。そんな思い出が次から次に思い浮かびました。人から喜ばれて、感謝されて、そのことが自分の喜びにつながり達成感につながる、さらに大きな意味で、釘1本打つこと、木1本削ることが社会貢献につながる。いくら趣味で好きだといっても、バイクを扱う仕事ではそんな充実感を味わうことはできないことくらいすぐにわかりました。
「やっぱり私はこの仕事が好きだ」
強くそう思いました。でも「この仕事」とは、工事の仕事のことではなく、明らかに「福祉の仕事」という意味でした。
営業担当の先輩からはこう言われました。
「苦労は苦にならないよ。喜んでもらうためにやってるんだから。苦労が大きい案件ほど力が湧くし、達成感も大きい。ご利用者の表情が訪問するたびに明るくなり、ご家族にも笑顔が増えてくる。それは我々が1つのチームになって頑張ってるからだよ」
私は「1つのチーム」の一員だったのです。自分だけが頑張っているような気になっていたことを恥じました。先輩はこう続けました。
「福祉用具っていうのはとても難しい。ちゃんと使えばご利用者のリハビリや自立につながるし、介護する方の負担軽減にもつながる。でも間違えると2次、3次の障害を招くこともあるし、介護者の負担を逆に重くすることもある。だから、まずご本人、ご家族の意向、希望を十分聞き取り、家屋を調査する。その上でケアマネさんやヘルパーさん、作業療法士さん、理学療法士さんたちとしっかり議論をして連携する。ちゃんとしたきめ細かい計画をつくるには、そういう手間を惜しんではいけないということだよ。それが君には煩雑で苦労が多いって見えたんだろ。逆だよ。私はそんな苦労があるからこの仕事がすきなんだ。決して報われることばかりじゃないけど……」

私は、無理を承知で、元の上司に相談し、自分の思いと熱意をぶつけてみました。案の定私の甘えた考えや浅はかな行動をたしなめられましたが、最後には「社長のこころを動かすような反省文」を書いてみろと言われました。「ただし、何の保証もできないが……」と。
私は即座に社長宛に「反省文」を書き復職したいと願い出ました。
〈営業担当の苦労も知らずに、自分1人の手で社会貢献しているような思い違いをしていました。深く反省しています。どうしてもこの仕事が好きです。どうか、会社に戻らせてください〉
しかし「前例がない」ということで、復職は認められませんでした。が、4月1日付けで「営業職新人として採用」されました。もちろん「『この仕事が好きだ』『この仕事を通して社会に貢献したい』という思いを片時も忘れることなく、仕事に取りくむこと」が条件として付けられました。たった10日間ですが、私にとっては自分とは、そして仕事とは、さらに福祉とは何かを考えるまたとない機会になりました。以来私は自ら苦労を求めて営業に走り回ろうとこころに決めました。

ところで、「決して報われることばかりじゃないけど……」という先輩の言葉ですが、私もそんな経験をしました。
平成21年5月14日のことです。あるご利用者のご自宅に3モーターのベッドを納品しました。

ご利用者ご本人は笑顔でそうおっしゃいました。
後でご家族のお話を聞くと、ご本人は末期のガンだということでした。寝ていても、どんな体勢を取っていても苦しいはずだ、と。楽になりたい、その一心をベッドに託されたのだと思うと、胸が熱くなりました。
それから6日後の朝、ご家族からエアーマットに変えて欲しいと連絡が入りました。ああ、容態が悪くなっているんだと直感しました。エアーマットに交換したのが午後1時でした。それから2時間後です。その方は眠るように逝かれたそうです。
ベッドとエアーマットを回収に行った時のことです。ご家族が私の手を取っておっしゃいました。
「数時間でも痛みを感じずに、そのまま眠るように逝きました。私たちはもちろんですが、本人もきっと感謝していると思います。ありがとうございました」
とっても悲しいことだけど、この仕事、やっていてよかったなと思いました。
「私たちを待ってくれている人がいる。福祉用具を必要としている人がいる」
そんな思いで今日もご利用者を訪問しています。