「わがまま」が生み出す豊かさ(上)#15

これは私が医師としてのキャリアを積む中で、いつしか自分に言い聞かせるようになったことです。座右の銘……。いえ、私のからだにとりついた自戒の念と言ってもいいでしょう。それをいま私は若い医師たちに事あるごとに伝えています。
私は国立病院に勤務する脳神経内科医です。接する患者さんは大半が難病といわれる疾病と向き合っておられます。その多くが、たとえばパーキンソン病であり、ALS(筋萎縮性側索硬化症)であり、筋ジストロフィーであり、脊髄小脳変性症であり、認知症などという、未だに治療法すら確立されていない「不治の病」と向き合っておられるのです。
〈ゆるやかに、死につつある〉
私がまだ若いころ、担当するあるALSの患者さんがご自身のことをそう表現されました。
その傍らには有効な治療が施せない我々医療者がいます。その数年後、一言の言葉を残すことなく彼は亡くなりました。私が〈その無念さと、敗北感を絶対に忘れてはならない〉と言うとき、もちろん医療者としての我々の思いもありますが、亡くなっていくご本人の無念さと、敗北感は、推し量ることもできません。我々医療者はその無念さと、敗北感を自らのものとして絶対に忘れてはならないと思っているのです。
しかしそんな思いに反して、研究者、現場の医療スタッフの努力にもかかわらず、私が専門とする分野では、医療技術の発展と進歩の陰で、いのちを救うことができないケースが多々あるのです。〈ゆるやかに、死につつある〉その進行を止めることすらできないのです。
では、彼らの人生はただ死を待つのみかというと、実は1日1日をとても豊かに生きている人もいます。そのことがある意味我々医療者の救いにもなっています。

S君は18歳。本来なら大学生ですが、養護学校高等部の2年生です。彼は筋ジストロフィーと向き合っています。4歳で診断がつき、10歳で入院。その後8年間を病院で過ごしています。筋ジストロフィーとは筋肉が衰え動かなくなり、最後は心肺機能が著しく低下し死に至る病です。原因こそ究明の緒(いとぐち)が見えかけていますが、有効な治療法はなく、その進行をできるかぎり遅くするという対処療法しかありません。
S君の症状も進行し、中等部に入るころまでは自分の足で歩くことができたのですが、今では車いすで移動する生活になっています。そんな彼の生き甲斐はトランペットです。中等部で吹奏楽部に入り、トランペットと出会ったのです。もともと音楽が好きでした。しかし自分で演奏するとなると……。
問題は2つありました。衰えていく腕力をどうしてカバーするか。呼吸をどう維持するか。
彼らはリハビリやトレーニングで筋力を維持することが困難です。病状が進行するにつれて、トランペットをからだの前で掲げることも、ピストンを押すことも難しくなるのはわかっています。呼吸だって、健常な人でも吹き続けるのに苦労するのに、彼は心肺機能の低下でなおさら難しくなるのは目に見えていました。しかもS君は15歳の時から鼻マスクですが呼吸器による呼吸管理をしていました。そんな彼にトランペットを吹き続けることができるのか。彼らにとっては、趣味も単なる趣味じゃない。ある意味残された力をふりしぼってという感さえあります。できるだけ長く演奏し続けたいと思うなら、打楽器などがいいのかもしれません。しかし彼はトランペットを選んだのです。
1日でも長くトランペットを演奏するために。そのことを真ん中において、本人はもとより、医師、看護師、理学療法士、作業療法士、介護士、福祉用具専門相談員、そして家族がアイデアを出し合いました。1つめの問題は、補助具をつくることで解決することになりました。まず車いすに可動式のテーブルを取りつけ、その上にトランペットを固定する器具をつけました。固定したトランペットにはさらに、梃子(てこ)の原理を応用してピストンを押す補助具を。これらはすべて作業療法士さんと介護士さんの手づくりです。これでS君は自力でトランペットを持つことなく、ピストンの操作に集中して、演奏できるわけです。


「わがままだ」
「訴えが多い」
これは介護に対してさまざまな要求を訴える患者、障害者に向けられる言葉です。この言葉の背景には、介護をしてもらう者は、黙って素直に身を委ねるのが当たり前だという考えが見え隠れします。私は明らかに間違いだと思っています。S君のケースでもそうです。彼があくまでもトランペットにこだわったから、あらゆる側面でどのようなサポートが可能か関わる者すべてが知恵をしぼった。しかし他方で「筋ジス患者がトランペットなんて、まわりを煩わせてわがままな」という、とんでもない声があったのも事実です。S君はわがままなのではなく、自分の意志を貫いただけなのです。これをもしわがままだというとすれば、S君にはなにもせずにゆるやかに死につつあるのを待て、ということになります。
1歩引いて「わがまま」だとしてみましょう。しかしその結果、呼吸器も設定を変えればさまざまな使い方ができることがわかったのです。
「わがまま」が暮らしを豊かにしていく。そんなケースはたくさんあるのです。