「わがまま」が生み出す豊かさ(下)#16

〈なんだか肩が凝るな。からだもだるいし……〉
左手で右肩を揉もうとした時です。伸ばしたはずの腕がうまく伸びず、右胸のあたりまでしか届きませんでした。近ごろときどきそんなことがあるなと思ったその瞬間です。右手に握っていたボールペンがカチャッと音をたてて床に落ちました。Kさんは慌てて拾い上げようとしましたが、2度とボールペンを拾い上げることはできませんでした。腕に力が入らなかったのです。
帰宅したKさんはすぐに病院へ向かいます。受診したのは整形外科でした。ですが医師はすぐさま脳外科の受診をすすめたそうです。脳梗塞を疑ったのでしょう。すぐさま近隣の脳外科に向かいましたが、検査の結果は脳梗塞ではなかったものの、診断がつきませんでした。そして脳神経内科の受診をすすめられたのです。

紹介状を携えたKさんが奥さんとともに私の病院を訪れたのは、それから数日後でした。
検査の結果、私は非情な診断をKさんに告げなければなりませんでした。Kさんの病名はALS(筋萎縮性側索硬化症)でした。
聞き慣れない病名に、Kさんはキツネにつままれたような表情でした。しかし私が2人を前にしてALSの事実を告げた時、Kさんは怒りとも、失望とも、悲しみともとれない表情を浮かべました。
「次第に筋力が低下し、最後には筋肉のすべてが動かなくなり、死に至ります。あなたに残された時間は長くて5年、短いと3年。今のところ原因もはっきりせず、有効な治療法はありません」
「死に至るって……。治療法がないって……」Kさんよりも怒りをあらわにしたのは奥さんでした。「そんなことお医者様の口から聞こうとは思いもよりませんでした。先生、なにかの間違いでしょう。うちの主人にかぎって……」怒りは失望に変わり、奥さんは泣き崩れてしまいました。
残酷なようですが私は、医師として事実をきちんと伝えること、それが最も大切なことだと考えていました。そうしないとこの病気には立ち向かえない、と。

Kさんの病状の進行は、他の患者さんよりやや速いことが明らかになりましたが、Kさんの受容も人一倍速いものがありました。いったん事実を受け止めると、Kさんはとても前向きに物事を考えるようになりました。しかし、その背景にどんな思いがあったのかは知るよしもありません。
「先生、私のからだは、いつごろ、どんなふうになるのでしょうか。それぞれの段階で、わたしはなにをしたらいいか教えていただけますか」
私はKさんの求めに応じて、彼がこれからたどる道を包み隠さず詳細に説明しました。自立歩行できなくなり車いすが必要となる時期、手足が動かなくなる時期、寝たきりとなる時期、食事が摂れなくなる時期、言葉が発せなくなる時期、すべての筋肉が動かなくなる時期……。それは死に至るロードマップと言っても過言ではありません。しかし意識は最後までしっかりしていること。それからいくつかの選択肢があり、その選択が残された時間の長さを決めることも伝えました。器官を切開して人工呼吸器を着けるかどうかという選択です。人工呼吸器を着けることで10年以上も存命する患者さんがいる事実も、です。
しかしそこには恐ろしい現実が待ちかまえていました。ALSという病気の最も恐ろしい現実。それは「閉じ込め症候群」と呼ばれるものです。意識ははっきりしているのに、自分の意志を伝えることができなくなるのです。身振り手振りも、言葉も、表情も、目を開けることすら、自力でできなくなるのです。たとえ呼吸器を着けていのちの時間が延びたとしても、そんな過酷な現実が待ちかまえている。その事実をすべてKさんに告げました。
「わかりました。ありがとうございます」
Kさんからは感謝の言葉と笑顔が返ってきました。私が驚いたことは言うにおよびません。

直後に退職したKさんは、すべての精力を闘病に注ぐことを決意します。しかし闇雲にALSと闘うのではなく、病気とは向き合いながら予後を充実した豊かな時間にするという方法で。
「子どものころから絵を描くことが好きでした。でも、職に就いてからは1枚の絵を描くゆとりもありませんでした。これは私にとってチャンスかもしれません。神様がいるとしたら、私に時間を与えてくれたのだと思うことにしました」
「絵を描くって……、絵筆が握れないのに……」
「手が動かなくなったら足で、足が動かなくなったら口にくわえて絵筆を動かす。それもできなくなったら足でボタンを操作し、モニター上で絵を描き続けることだってできるんだよ。まあ見てなさいって」
いぶかる奥さんを横にして、そう言って笑うKさんの表情には爽やかささえ感じられました。
Kさんとご家族は、心肺機能が低下しても呼吸器は着けないという決断をします。
「自然な姿で生きたい」
Kさんのそんな思いをご家族が尊重したのです。
「どんな姿になっても、1日でも長く生きてほしい」
奥さんはそう言っておられましたが、結局はKさんの思いのままにすることに。
「本当にこの人はわがままなんだから……」
奥さんは目にいっぱい涙をためて笑いながらそう言われました。診断を下した時の怒りの表情はいつの間にか消えて、できるだけご主人に寄り添おうという思いが、あらゆる場面で感じられました。
でもKさんのその選択にはもう1つの理由がありました。本当に呼吸器を着けなくていいのかとご本人に確認した時、私だけに伝えられたことです。
「家族の負担になりたくないのです。私の人生ですから。いくら夫婦だ、家族だとはいえ、私の人生に巻き込むことはできません。私の介護に5年も10年も人生の時間を割かせることはできません」
Kさんはきっぱりそう言われました。医療者である私の目の前に救うことのできない患者さんがいる。その時の無力感、敗北感を言葉にすることはできません。

Kさんの在宅での闘病・療養生活は豊かなものでした。
Kさんが絵筆を持てない手でどうやって絵を描いたかですが、彼は思いもよらない行動に出ます。大手精密機械メーカーのシステム開発部門に勤めていたご友人に、かつてのご自身の言葉通りパソコン上で絵を描くための機材の開発を提案したのです。もちろんキーボードやマウスは使えません。たった1つのスイッチ、車いすで過ごせる間は足の指で、寝たきりになってからは数グラムという指の力で操作できるスイッチの開発を依頼したのです。そこには大きな意味がありました。Kさんはその1つのスイッチに絵を描く機能のほかに、文字を入力するという機能も求めたのです。病状が進行し、声と言葉を失ってもまだ意志の疎通ができるように、です。
「そんな大病を患ってもわがままなやつだ」
そのご友人はそう言って笑ったそうです。しかしKさんのわがままは、大勢の人を動かします。周囲が驚くほど短期間の間にそのシステムは完成したのです。

奥さんはそのご友人と、一緒にスイッチの開発にあたった関係者に深い感謝を伝えられたそうですが、その時ご友人は言われたそうです。
「彼のためだけではありません。ALSだけではなく、同じように自分の意志を伝えられない境遇にある人にとっても、必ず役立つ。彼のわがままは、そんな普遍性を持っていたのです」
と。 私は、目の前で患者さんが力尽き亡くなっていくその無念さと、敗北感を忘れないことのほかに、絶えず考えていることがあります。それは本当の意味での「生活の質の豊かさ」とはどこから生まれるのだろうかということです。
1つの答えとしては、難病や障害と向き合いながら生きていく人生、余生であっても、生きていく本人の意志が大切にされることだと考えます。介護してもらう立場だから負担になってはだめ、わがままと感じられてはだめと、どれだけの人が、したいことをしたい、生きたいように生きたいということをあきらめているか。人的介護も福祉用具も先端技術も、すべて1人の人が豊かに生きていくためにあると言っても過言ではないでしょう。ひいてはそのことが社会全体を豊かにする、と。
介護される人たちの「わがまま」が「わがまま」としてかたづけられる社会。それだけでその社会には「生活の質の豊かさ」を期待できないのではないかと思います。
最後の最後に「よく生きた」と自分で思える人生。そう思うことができれば、少なくとも無念さと敗北感は、我々医療者だけのものになるはずです。そういうサポートができるような社会を目指さなければと、現場で走り回る毎日です。