受け入れる力と介護する力#22

在宅復帰を目前にしたカンファレンス。主介護者になられるご長女にお会いして、最初にそう感じました。
ご本人はアルツハイマー病による認知症。自宅で転倒、骨折して入院。しかも年齢は90歳。介護度は要介護5。認知症の症状は重く、言葉を使って意思表示をすることは、ほぼ不可能な状態でした。
入院中、医師や看護師さんが声をかけると布団をかぶり接触を拒み、ときには声をかけた人をたたいたり、ひっかいたり、暴力をふるうこともあったと聞きました。同居のご長女にも、そういう振る舞いがあったそうです。動けないのに介助しようとすると暴力をふるう。どう考えても、ご長女の介護のもと在宅で療養するなどということは、絶対に不可能だと思いました。
私の知る範囲では、認知症患者の在宅での介護ほど大変なものはありません。現在私が担当するご利用者は約180名ですが、認知症の方はその中で5人と非常に少数です。ご家族が在宅での介護を望まれても結局はうまくいかず、残念なことではありますが、ほとんどの方が施設に入所するか、病院の介護病棟に入院するのが実情です。自分の親を自宅で介護したいという人が大変多いにもかかわらず、認知症に関してはそういった実情があるのです。

この方の場合、アルツハイマー病という進行性の変性疾患を持ち、理解・判断力の低下、見当識障害、実行機能の低下という中核症状に加えて、暴力という周辺症状も抱えておられます。ご家族の熱意だけでは何ともならない。それが私の考えでした。認知症というのは、それほど大変で深刻な疾病なのです。
「甘い」というのは、お母様の認知症に対するご長女の認識でした。
「母は元々そんな乱暴な人じゃありません。病院という知らない場所で、知らない人に囲まれて、きっと家に帰りたいという思いが、そういった行為になって現れるんだと思います。だから、家に帰ればきっとよくなると思います」
それは、あまりにも楽観的過ぎる言葉だと思いました。認知症という疾病の難しさを、十分理解されていないと。ご長女ご自身も60歳代後半というご年齢でした。
リハビリ担当の作業療法士さんやケアマネージャーさんも、私と同様「無理だ」との判断でした。しかしご長女の「どうしても」という思いに押されて退院の運びとなったのです。担当者だけの会議の席では、福祉用具を導入しても2、3週間で回収になるかもしれないといった話や、「どうしても」というご長女も、実際にやってみて在宅での介護は無理だということに納得されたら考え直されるのではないかといった話が主流を占めました。
結局私はケアプランに沿って、特殊寝台、落下防止のベルトを装着した車いす、外出時に使うリフト、そして歩行器を導入しました。車いす、歩行器はデイケアに通うということもありましたが、ご長女の強い希望があったのです。
「お母さんが好きだったことは、全部させてあげたい。好きだった庭を一緒に散歩して、お花を見させてあげたい。そのための歩行器なんです。車いすなんです」
もちろん私は、1日でも長く使っていただくことを願っていましたし、担当者だれもが1日でも長い在宅生活を支援しようと考えていました。

でも時間がたつにつれて、ほんとうに甘かったのは私たちの方だということが明らかになります。楽観的過ぎるようなご長女の言動……、実は認知症に対する十分な理解と受け容れ、お母様に対する強い愛情、そして介護に対する強い熱意に裏付けられていたのです。
導入した福祉用具、結局短期間で回収したのは歩行器だけでした。さすがに転倒の危険があり、利用しきれないという理由でした。が、それ以外は1年以上ご利用いただいています。
ケアマネージャーさんも、
「なんだかうまくいってるみたい。意外だけどうれしい結果です」
と自分のことのように喜んでおられました。私がうれしかったのは言うまでもないことです。
導入1年後のモニタリング。ご自宅を訪問して驚きました。表情も明るくなられたし、なんといっても会話が成立していたのです。病院では会話どころか、関係を拒絶するような振る舞いが多かったのに……。状況は大きく変化していました。

「母は元々そんな乱暴な人じゃありません。病院という知らない場所で、知らない人に囲まれて、きっと家に帰りたいという思いが、そういった行為になって現れるんだと思います。だから、家に帰ればきっとよくなると思います」
その通りになったのです。
驚く私に、ご長女は笑顔でこう言われました。
「他人の親じゃなくて、自分の親ですもの。そりゃ一生懸命になるわよ。母の介護は私の生き甲斐なんですよ」
それではじめて気がつきました。ご長女は認知症という疾病の理解と受け容れというよりも、お母様の症状すべて、存在すべてを受け容れておられるんだと。そのことが少々困難と思える介護でも続けていける力になるんだと。
「環境の変化とか、人間関係がこの病気には大切だと思います」ご長女は冷静に言われます。「確かに母の人格が壊れていくわけですから、娘の私にとっては耐え難いこともたくさんあります。でもそれを受け容れないとなにもはじまらない。つらいだけの毎日になってしまうでしょ。受け容れるところから、親子関係の再構築ですよ」
ちなみにご本人はデイケアに通われているそうですが、残念ながらそちらでは会話は成立していないということです。担当者会議では、ご長女から「介護に疲れた」とか「どうにかしてほしい」といった訴えがあったという報告は、一切ありません。