ありがとう、千本イチョウ。#27

母は73歳。1年前アルツハイマー型認知症の診断をいただきました。ショックでした。母1人娘1人、女手ひとつで育てられ、私にとって母は父でもあり、47歳の今日に至っても頼りにして暮らしてきました。お医者様にこれから母が歩んでゆくであろうという道をうかがいました。1年か2年か、時間が経つと母は私のこともわからなくなる……。私には到底受け容れられるものではありませんでした。呆然とする私にお医者様が母の脳を写しだしたMRI画像を見せて下さいました。たしかに脳が萎縮していることが見てとれました。が、にわかには理解しがたいお話でした。これからどうしたらいいのだろう。私は目の前が真っ暗になりました。
でも、散々悩んだ後私が出した結論は、現実はどうであれ「元気に暮らそう」ということでした。認知症はいまの時点では進行を遅らせることが精一杯で、決して回復することのない病だと知らされました。暗くなっても治らない。明るくしても治らない。だったら明るく暮らした方がいい。母だってそう思うはずです。そう決めた私は、母に病気のことを包み隠さず伝えました。
「私は壊れていくの……」
母はそういったきりしばらく考えていました。しかしすぐに、
「仕方ない。元気に生きる!」
と笑ってくれました。その日から母と娘の珍道中ならぬおもしろ人生がはじまりました。

いろんなところにいっぱい出かけることにしました。海、山、近いところ、遠いところ、車に乗ったり、飛行機に乗ったり、歩いたり、母が行きたいというところへはかならず出かけました。美味しいものを食べ、楽しくお芝居を観たり、買い物をしたり、思い出をいっぱいつくろう。私は休みのたびに母を連れ出しました。母もいっぱい笑い、いっぱいおしゃべりをし、毎日明るく過ごしてくれ、病気の進行のことなんてすっかり忘れてしまうほどでした。
ところが認知症の診断をいただいてから半年後でした。母は脳梗塞で倒れました。幸い軽症ですんだのですが、左下半身に麻痺がのこりました。リハビリのお陰で杖をついて歩けるまでに回復しましたが、外へでる機会が少なくなり、表情もどこか暗く……。どこかに行きましょうと誘い出そうとしても、
「うまく歩けないから……」
と以前のように出かけようとはしません。
それでも私は連れ出そうとしました。うまく歩けないなら、出かけるときだけでも車いすを使えばいいと。でも母は気が進まなかったようです。
「車いすだなんて、いよいよダメみたい……」
「何をいってるの! 見かけなんて気にしないで。元気な明るいお母さんにもどってよ」
腹が立ったり、悲しかったり、思わず涙がこぼれました。母はそんな私の頭を優しくなでながらいいました。
「ごめんねえ、怒らないでねえ、泣かないでねえ、いい子になるからねえ」
しまった、と思いました。努めて冷静にしていたつもりだったのに……。私はがんばりすぎていたようです。外出も、少しずつ、焦らずに、出かけることが目的じゃなくて楽しむことを目的にして、遠くなくてもいい、近くから。そう思うことにしたら急に元気になりました。

秋が深まる中、近所の公園をゆっくり散歩しました。大きな公園でした。イチョウの木があちこちに分けて植えられていました。黄色く色づいたイチョウを指さして母がうれしそうに笑いました。
「これが1本イチョウ、あっちが10本イチョウ」

「垂水の千本イチョウが見たいわね」
母がつぶやくようにいいました。テレビのニュースで見て、おぼえていたのでしょう。
車いすでは無理かなと思いましたが、車の中からだけでもいいかと、思い切って車を走らせました。
垂水港に着き車を走らせるとすぐに黄色い山が見えてきました。
「山が黄色くお化粧ね。あれがイチョウ……。だんだん大きくなっていくね」
母はうれしそうに笑いました。圧巻でした。その黄色、山吹のあざやかなこと。
「街中のイチョウとは全然違うね!」
母はたいそう喜んでくれました。
〈世間遺産 僕立公園 千本イチョウ〉
入り口にはこんな看板が。
車を下りて、イチョウ並木を車いすで散歩しました。わずかな距離しか行けませんでしたが、風が吹くとイチョウの葉の黄色いシャワーを浴びているようで、母も私も大満足でした。
「来年も、また来年も来られたらいいね」
私がいいました。
「来られるわよ」
母が明るく笑いました。
ありがとう。千本イチョウ。