キャッチボールの大切さ
~屋久島オフィスを取材して~#32

「揺れるかもしれませんよ。気をつけて」
電話の向こうの営業担当の飯島(仮名)さんはそういって笑ったような気がしました。
たしかに錦江湾を出たとたん、船は大きく揺れ出しました。
鹿児島から約2時間、船は屋久島宮之浦港に接岸しました。さてこの2時間をどう見るか。これがもし観光なら、世界遺産屋久島への旅に胸を躍らせてわくわくした時間を過ごせるのでしょう。しかし仕事となると、飯島さんが話していた「自分の到着を首を長くして待ってくれている人がいると思うと、船のシートに座っていても落ち着かない」という気分がよくわかりました。
鹿児島市という都市からわずか2時間で行ける世界遺産の島はまた、鹿児島から2時間も要する、しかも1日5便しかない離島・僻地(へきち)であることに間違いはありません。荷物を送るためのフェリーとなると4時間、それも1日に1便だけです。人の往来にも、荷物のやりとりにも、時間がかかるのです。
屋久島の周囲は132km、面積は504.88km²。「洋上のアルプス」と呼ばれるように、島の中央に険しい山々がそびえ、それが介護や営業の活動に支障をきたす場合があるとは、以前飯島さんがこのブログで触れられていました。屋久島自体が離島・僻地である上に、さらにその中でも移動に時間がかかる場所があるということでした。
そんな屋久島に弊社が営業拠点を開設したのが2010年7月でした。それ以前と以後で介護の現場がどう変わったのか。弊社に求められているものは何か、を取材しました。

笑顔で出迎えてくれたのは、屋久島オフィス飯島宏志さん。お話をうかがうのは島内でいちばん大きな総合病院に併設されている介護センターのケアマネージャー、与那覇幸司(仮名)さんです。お話は安房の弊社屋久島オフィスでうかがいました。
まず与那覇さんに屋久島の高齢者を取り巻く状況について聞きました。
与那覇さんによると、屋久島の高齢化率は30%超。島内人口が1万3千800人弱ですから、65歳以上は4000人以上になります。その半数の約2000人の方が何らかの介護を必要としています。総務省統計局によると、2010年の全国の高齢化率は23.1%ですから、それをはるかに上回っているわけです。そんななか、総合病院もサービス提供事業者の拠点も人口集中地に集まっています。
「屋久島自体が離島、僻地なのに、その中でさらに僻地というべき地域があるのです。移動距離や物流という意味でも僻地というのは暮らしに大きな困難をもたらします。でも、それが医療や介護となると、それはいのちの問題に関わるし、僻地状態のまま放置されるということはあってはならないのです。我々は社会の付託を受けて介護の仕事に携わっているわけですから、責任は重大なのです」与那覇さんのことばに離島での介護の難しさがにじみます。
「移動距離、時間の長さをカバーするために、ヘルパーステーションなどの拠点を小規模、多機能にして、各中学校区に開設して日々の介護は中学校区の中で完結するように工夫してきました。でもやはり動くことしかないというのが実感です」と。
屋久島にかぎらず種子島、三島、トカラの島々は、鹿児島営業所の担当で、定期的あるいは必要に応じて営業担当者が出張するという体制でした。その当時のことを与那覇さんはこう話します。
「とても頼りにしていたことはいうまでもありません。知識、経験、そして福祉用具の品揃え、住宅改修のノウハウなど、どれをとっても群を抜いていましたから、何かあったらすぐに相談したいと思うのは当然の流れです。
でも、頼りにすればするほどもどかしさ、歯がゆさが募るのは仕方のないことですね。離れているといえばそれまでですが……。たとえば介護用のベッドでいうと、お願いしてから納品まで1週間かかるというのが当たり前でした。たとえ1週間といえども、その間ご利用者にはとても不便な暮らしを強いるわけです。
納品されたからといって、それがこちらのイメージしていたとおりに使えないこともありました。電話で身体状況の説明をして、説明でベッドの性能や機能を聞いて決めるわけですからね。それがダメだとなると、また数日を費やして交換しなければならない。わかっていても、早く!もっと臨機応変に対応してほしい!という思いになるのです」

そばで聞いていた飯島さんもゆっくりうなずき、与那覇さんのことばを継ぎました。
「ご利用者はもちろん、与那覇さんや現場で実際に介護に当たられるみなさんに不便な思いをさせている。それが返品や交換という形で事実として伝わってくる。営業担当としてはほんとうに申し訳ないし辛い思いをしました。もっと潤沢に時間を割いて話を聞きたいし、もっと信頼される存在になりたいと思いました」
そんな思いが、もう少し、あとちょっと、もう数分となり、結果的に帰りの高速艇に乗り遅れることも希ではなかったといいます。そうして2010年7月の屋久島オフィス開設を迎えるのです。飯島さんの常駐での孤軍奮闘がはじまったのです。
与那覇さんはいいます。
「便利になったなどというレベルではないですね。ここに拠点を開設していただいて常駐の担当者、しかも福祉用具や住宅改修についての専門知識を持った担当者が常駐してくれるわけです。これは大きな安心を得たということです。困ったこと、わからないことがあれば、すぐにいつでも相談できるし、対応してもらえる。私たち介護を提供する側だけではなく、ご利用者にとってもこれほど安心で便利なことはないと思います」
与那覇さんは、福祉用具は単なる道具ではないといいます。目に見えないもっと大きな役割があると。
「福祉用具には介護の仕方、在り方といった情報がつまっています。ご家族にとって困難だった介護がどうしたら楽にできるようになるか。ご利用者ご本人にとって苦痛だった介護、行き届かなかった介護を、どうやって改善したらいいか。そのためにどんな福祉用具をどのように使ったらいいかそんな情報がつまっているのです。
従来私たちはカタログなどで用具の情報を手に入れることはできました。しかし最新のものが必ずしもいいもの、役に立つものとはかぎりませんでした。個々のご利用者の状況に合わせて、現実として使えるもの、ちゃんと使いこなせるもの、そういう福祉用具が望まれるわけですし、そういうものを提案していかなければと考えています。その人の状況にマッチしてこそ福祉用具なのです。それが実現することで暮らしが豊かになるし、人生にも前向きにもなれるのです。 いいかえると、ご利用者にとって福祉用具は単に便利な道具ではなく、暮らしと人生を豊かにし、希望を生み出してくれる、そんな道具なのです。だからカクイックスウイングさんに期待するのは福祉用具専門相談員のフィルターを通した情報ですね」

「どれだけの情報を提供できているかを考えると、屋久島オフィス開設前、後で大きくちがうところだと思います」飯島さんは情報提供の難しさを次のように説明してくれました。「返品や交換のときにいわれていたのは、できることできないことや、使い方の詳細を最初にいってくれればよかったのにということでしょうか。こちらとしてはあらゆる情報を最初に提供すべきなのでしょうが、オフィス開設前は時間的制約もあり、なかなか難しい状況にありました。また情報の提供の仕方でいうと、ひとつひとつキャッチボールしながら深めてゆかないと、私たちも気づかないことが多々あります。ひとつひとつの問いかけに答えていくという形で、最終的に情報全体を伝えるというか……」
与那覇さんは開設前の状況を、こう説明してくれました。
「オフィス開設以前に比べると、格段にコミュニケーションはよくなったと思いますよ。出張で来てくれていたときは、飯島さんがいう時間的制約のお陰で互いに余裕がなかったし、お互いに遠慮があったような」
「ええ、こちらもご利用者の身体状況や、ご家族など介護に当たられる方々の状況など、徹底的に情報を集めるべきなんですよね」
「私たちも説明し切れていなかったかもしれない……」
それが担当者が常駐するオフィスが開設されることで大きく改善されたというのです。
「不明な点があればすぐに連絡が取り合えるわけでしょ。ずいぶん遠慮がなくなりました。わからなければすぐ問い合わせる」と飯島さん。
「ベッドなどの福祉用具の在庫があって、連絡をすればすぐに対応してもらえるようになったことは大きいですね。でも何より大きかったのは、実は私たちは情報に飢えていたんだということがわかったということ。つまり、ケアマネさんやヘルパーさんから、福祉用具を利用した介護の仕方など、もっともっと勉強したいという声が出てきたことがうれしいですよね。最終的にはご利用者の利益につながることですから」と与那覇さん。

考えて見ればあらゆる福祉用具は、正しい使い方ができてはじめて力を発揮するものです。使い方が正しくないと効果が期待できないばかりか事故につながる危険もあります。しかも正しい使い方を情報として提供すれば、すぐに正しく使っていただけるというものでもありません。
「使い方を情報として伝えてもらうだけでなく、ちゃんと講習を受けて、練習を積み、習熟する。それではじめて使いこなせるわけですからね」という与那覇さんのことばを待つまでもなく、用具と一体となった情報提供が重要な仕事になるのです。
屋久島オフィス開設後は、それらの点が次第に改善されてきたと、与那覇さん、飯島さんともに認めるところでした。
「常駐することで生まれる時間的余裕が大きいですよ。迅速に、しかしじっくりキャッチボールができる」
飯島さんは笑いました。
「うん、だいぶ遠慮もなくなったよね。というか、私や他のケアマネの遠慮のない暴投のような要求に泣いているんじゃないかと、ちょっと心配ですが」
与那覇さんも笑いました。
その時デスクの電話が鳴りました。 「はい、了解しました。すぐにお届けします」
そういって飯島さんは受話器を置きました。
「与那覇さんのところのケアマネさんでした」
「どうしたの?」
「先日電動ベッドをお納めしたお宅がありましたよね」
「ああ、Aさんのところですね」
話はこうでした、脳梗塞の後遺症で在宅療養されているAさんに電動ベッドを納めましたが、転落防止にパネル型のサイドレールを設置したそうです。ところがAさんの楽しみの1つがテレビを見ること。パネル型では寝たままテレビを見ることができないのです。そこで柵型のサイドレールに交換してほしいと連絡があったのです。
「今日、この後すぐに交換に行ってきます」
「そうですね、お願いします」そういって与那覇さんはにっこり笑い、こういいました。「ね、対応が早くなったでしょ。これが以前なら早くて数日、長いと1週間かかったわけです。その間Aさんはテレビを見られない……。ほんとうに拠点オフィスを開設してもらってよかった」

取材を終えて港まで送ってもらう車の中で飯島さんと話しました。 「頼りにされてますね。取材させてもらって、誇らしく思いました」
「まだまだですよ。私の動きもそうですし、物流にしても、離島という条件の中で、まだまだ困難なことは多いですし、もっと工夫しなければとも思います」
「工夫ですか?」
「動き方の効率化もそうですが、ご利用者の状況を聞いてちゃんとした情報提供、アドバイス、提案ができれば、もっとスムーズに動くことができると考えています。そうなりたいと」
飯島さんは私たち取材班を港で下ろすと、次がありますからとすぐに車を出しました。先ほどの柵型サイドレールの交換に向かったのです。
会ったこともないAさんの笑顔が思い浮かびました。
