“What I can(私たちにできること)”#36

長い者で30年以上、短い者でも20年の間、難病と向き合いながら病棟で暮らしています。彼らの病気・症状は様々ですが、すでに自立歩行は不可能になり日中は車いすに乗って生活するという状態は共通しています。
病棟の外、病院の外に出かけることは希ですが、パソコンとネットを駆使して外の世界と積極的に関わりを持とうという姿勢も共通しています。
そんな彼らが病棟でウェブデザインのグループを立ち上げました。もちろん趣味や楽しみのためではなく、仕事のためです。名前は「WHAT」。将来は会社組織にしたいと考えているようです。仕事は代理店を通じて、あるいはクライアントから直接案件が持ち込まれてきます。
仕事のスタイルとしては、元々は3人とも何でも自分でできるという状態ではありませんから、それぞれ得意な分野を担当していました。でもそれではうまくいかなくなったのです。仕事としてはじめたわけですから、好き・嫌い、得意・不得意で作業を選んでいたのでは仕事全体がうまく進みません。どんなことでもきちっとできるようにならないと、全体としてクライアントのニーズには応えられない。お互いの欠点、不得意をカバーするためにもあらゆることがこなせるようにならないとだめだと、はっきりわかってきているのです。
ホームページのデザインは、それぞれがいろんな人の支援を受けながら独学で勉強しました。最初はデザインだけわかっていればいいやって思っていたようですが、たとえばプログラムなんかも書けないとダメだなと感じて、仕事をしながら新たな勉強にも取り組んでいるようです。
仕事はというと、何度もダメ出しをもらっているようです。打ち合わせの時に、最後までちゃんとやってくれますかっていわれて、自分たちはやはり中途半端だと思われているんだと落ち込んでいたこともあります。でも私は当然のことだと思います。障がい者だから、難病患者だからっていって時間も仕上がりも、少々のことはおおめに見てもらえるだろうという甘えがあるとすれば、仕事なんかこない。障害があろうがなかろうが、受けた仕事はきちっとやる。そしてちゃんとクォリティを維持する。それがなければ、クライアントも仕事を発注してくれないでしょう
仕事をしようという意志はあっても、なぜ障がい者に仕事がこないのか、それにははっきりとした理由があると私は思います。甘えが出るのです。障害を抱えながら一生懸命仕事をしているのだからこの程度でいいだろうと、発注者の要求を100パーセント受け入れようとしない。特に納期はあてにならないと思われています。私も彼らがほんとうに仕事ととして、徹底的に甘えを排して頑張ろうとしているのか、最初は不安でした。
障がい者だからと、ボランティアや支援のつもりで好んで発注する人はいないでしょう。あくまでも仕事の質が問われるわけです。障害があろうがなかろうが、仕事の質が高ければ仕事はきます。でもそのあたりをWHATの3人はよく考え、話し合ってきたようです。

3人の症状が軽いのかというと、それはちがう。3人とも夜間は呼吸器による呼吸管理が必要です。手を動かせるのもわずかの範囲だけです。移動は電動車いす。パソコン入力はW社製のペンタブレットでモニター上のキーボードを操作して行います。日中は長い日で4、5時間をパソコンの前で作業しますが、彼らにとって決して楽な作業ではありません。
でも、仕事っていうのはそんなもんでしょう。ただし病棟には消灯時間がありますから、彼らには徹夜作業というのはありませんが。でも彼らはそうやって味わう仕事の上での苦労が楽しいのだと笑います。
1日4、5時間がんばって、10ページのデザインを仕上げるのに半月かかると彼らはいいます。打ち合わせの時に、最後まできちっとやってくれっていうことと、できないことはできないとはっきりいってくれといわれているようですが、「でも、できないって、いえないですよ。だって仕事にならないじゃないですか」と苦笑いしています。その苦笑いがほんとうに楽しそうなのです。そうやって苦労して仕上げて売り上げは2、3万円。それでも仕事に向かう姿勢がちゃんとできてきているなあと、そう思いながら見ています。
彼らはよくいいます。
「できないことって、ぼくらにとってはふつうのことじゃないですか。難病だ、障害だって、ほとんど何もできない人みたいに思われているし、ぼくら患者の側も何もできないって思い込んでるんです。でもね、できないことを嘆くんじゃなくて、できることをひとつひとつひろげていったらいいだけのことなんです。日常の生活でも仕事でも、ぜんぶいっしょだと思う」
そういう意味では、様々な福祉用具に加えてパソコンの出現は大きかったと思います。
病状が進行し、できないことが多くなっていく。その時期とパソコンが進化しはじめる時期が重なったのです。パソコンを持つことで、できなくなったことがまたできるようになったのです。
彼らは外に出られないですから、人と交流することがありません。待っているだけしかなかったのですが、パソコンとネットを利用することで、外の世界につながることができるし、新しい出会いだって期待できるわけでしょう。これは彼らにとって大きいですよね。
少なくとも彼らは、パソコンを手にし、ネットに接続することで、自らを病棟の外に連れ出すことに成功したのです。長期療養病棟が社会から隔離され、患者は古くて暗い病棟の中で、社会と情報から隔絶されて、ただ生かされるように生きるのが「常識」だとするなら、彼らは自分の手で情報を獲得し自分たちの存在を強烈にアピールし、その「常識」をひっくり返してしまったのです。パソコンを駆使して仕事をし、恋愛をし、結婚して退院した患者もいます。これを私は、「パソコン・ITを駆使した難病患者独立運動」と密かに呼んでいます。
従来、彼らのような難病患者たちには仕事、恋愛、結婚などという自立への契機は訪れるはずがないと考えられていました。長期療養病棟という集団での生活に自立などということを求める方がおかしいと考える向きもあるでしょう。しかし、集団の中でいっしょに生きることと自立することは別の問題だと思うのです。適切な支援と、そのひとの個別の状況、希望にそった「福祉用具」さらにはパソコンなどの「道具」があれば、自立も夢ではないでしょう。それが集団生活の中であっても「独立」を可能にするのです。
リーダー格の井上義雄(仮名)さんはいつもいっています。
「自分で決めたのなら、あとは徹底的に努力するだけ。とてもシンプルな話だよ」
と。彼らはパソコンという「道具」を獲得したわけですが、その結果、出会いの場、交流の場、恋愛の対象、そして仕事をすべて自分の力と技量で手に入れたのだと思います。だから長期療養病棟にあって、彼らは明るく生きていけるのかもしれません。WHATの3人からはじまった「努力すればできる」(井上さん)ことを多くの患者たちが知っているのです。
ところで3人のグループ名「WHAT」ですが、“What I can(私たちにできること)”からとったそうです。自立しつつあるという自信と実感が込められていると思います。
