あらためて「福祉用具の力」を考える#37

仲村淑子(なかむらよしこ 75歳・仮名)さんは、5年前に脳梗塞で倒れられ左半身麻痺の後遺症があり、要介護度は要介護4ですが日常生活はほぼ全介助の状態でした。入院されている時からいろいろとお話をさせていただきました。
退院後の療養生活にあわせた住宅改修プランでは積極的にご自身の希望を言われるなど、とても前向きな方だと感じました。主介護者のご長女もとても明るい方で、このご家族なら少々の困難があっても大丈夫だと思った記憶があります。 実際訪問させていただく度に、和やかで明るい雰囲気に触れて、お世話をした甲斐があったと思っていました。
そんなご家族に降ってわいた出来事でした。
「おや?」 電話を引き継いだ瞬間、いつもとは違うと思いました。淑子さんの言葉に、いつものような明るさが感じられなかったのです。
「どうかされましたか?」なかなか用件を切り出せないでいるようなので、思い切ってこちらから聞いてみたのです。
「電動ベッドを回収にきていただけないかしら……」
「えっ、電動ベッドをですか?」
「ええ、私、施設に入ることになったの。ですからもう必要でなくなりますから」
「施設にお入りになるのですか?」
私は咄嗟にご長女の言葉を思い出していました。
〈どんなことがあっても、母には住み慣れた自分の家で暮らし続けて欲しいと思っています。そのために家族全員どんなことでもするつもりです〉
ご長女夫妻と2人の息子さんたちはその言葉通り、特にご長女はお母様の介護中心といっても過言ではない生活を続けられているように見えました。差し出がましいようだがもう少し事情をと言いかけたとき、淑子さんの言葉に遮られました。
「とにかく電動ベッドは必要なくなりますから、娘と日取りを打ち合わせて引き上げにきてください」
と。
電話を切った私は、すぐにケアマネージャーさんに電話を入れました。するとケアマネさんも寝耳に水の話だと。施設に入るなどという話は何も聞いていないということでした。
「しかしご本人はあまりにもきっぱりと言われたので……」
ケアマネさんと相談した結果、直接話を聞いた私がご長女に電話をすることにしました。ケアマネさんが電話をして、もし何かの間違いや、ご本人の勘違いだと話が複雑になると思ったからです。
「お母様から電動ベッドの回収を依頼されたのですが」
「えっ? 母がそんなことを言ったのですか……」
電話の向こうのご長女の声は急に曇り、明らかに、驚いたというより、狼狽しているという感じでした。
ご本人には知らせずに施設入所の話を進めている、そんなことをしているのではないかという思いが一瞬頭をよぎりました。
しかしご長女はすぐに打ち消されました。
「そんなことはありません。母の勘違いです。回収は必要ないです。そのままにして置いてください」
「でも、お母様が……」
「いえ、大丈夫です。母とはちゃんと話をしていますから」
その言葉にはいつもの明るい響きがもどっていました。

それから3日後。
再びご本人から電話がありました。今度は打って変わったように明るい声で。
「この前の電動ベッド回収の話、なかったことにしてくださいな」
もとよりご利用者の事情に首を突っ込むつもりはなかったのですが、つい口をついて言葉が出てしまいました。
「よかったですね」
と。ほっとしている様子が手に取るようにわかったからです。しまったと思いましたが、淑子さんはその言葉を素直に受け取ってくれました。
「ええ。私が早とちりしたのよ。バカみたい……」
話を聞くと、ご長女とそのご主人がひそひそと話すのを聞いてしまったというのです。たぶん淑子さんが眠っていると思ってのことだったのでしょう。会話の内容ははっきりとは聞き取れなかったといいます。
しかし、 「施設の入ってもらうしかないじゃないか」 というご主人のそのひと言だけがはっきり聞こえたというのです。
なんとなくあの時のご長女の狼狽の理由がわかりました。聞かれてはいけないことを聞かれた、と。
「私はね、常日頃長女夫婦には申し訳ないって、ずっとそのことばかり気にかけていたの。同居していたばかりに私の介護で苦労かけてって。いつでも施設に行くからねって、ずっと言い続けてたわ。でも娘も婿どんも、いいよ、気にするなって言ってくれてたから……。でも考えてみると、あの子たちの暮らしをめちゃくちゃにして、迷惑かけてたんだって思ったの。だって、私がこんなになってから娘夫婦は旅行にも出かけてないのよ」
淑子さんはたしかに電話の向こうで泣いておられました。でもそれは悲しくて泣いているのではないと、声の響きでわかりました。
「施設に入ってもらうしかないじゃないか」というご長女のご主人の言葉には前後の事情があったのです。
ご長女夫妻は居宅を改修して、淑子さんの居室を庭がよく見える場所に移そうと考えていたそうです。そういえば淑子さんは花が大好きで、いつ訪問しても庭には季節の花がたくさん咲いていました。どれも淑子さんが育ててこられた草木を、ご長女が引き継いで大切にされていたのでした。それをもっと身近で楽しめるようにと……。
「私ってバカよね。そんなことを考えてくれてるなんてつゆ知らず。施設に入れられて、捨てられるんじゃないかって、あの子たちを疑ったの。工事の間だけ、ショートステイっていうんですか、それを利用して一時避難してくれないかってことだったの。それを早とちりしちゃって……」
電話の向こうからは、笑い声とも泣き声ともつかない複雑な、でも、うれしそうな声が聞こえてきました。
「あなたにも謝らないとね。結果的にあなたを使って娘たちの本心を探らせることになったのですもの」

ケアマネさんにこのことを電話で報告すると、「よかったわね」と喜んでくれました。「雨降って地固まるだわ」って。
でも私には、単純にそうは思えませんでした。
介護を受けられる方の不安。
それはあきらめや悲観、そして厭世(えんせい)などが綯(な)い交(ま)ぜになった複雑なカタチをとって私たちの目の前に姿を現します。
「被介護コンプレックス」などという言い方がありますが、決してそんなひと言でかたづけられるような、単純なものではないのです。
このご利用者の場合はうれしい、幸せな結末でした。
しかし、介護する側もされる側も、それぞれの事情を抱え、思い、悩み、毎日を生きている。
ちょっとした行き違い、勘違いが大きな悲劇につながることもあるのです。
そのためには私たちの納める福祉用具が、苦労を軽減したり、悩みを解消したり、生活を楽しく、明るくしたりできるような「力」を、存分に発揮することが大切だと思いました。
そんなことを教えてくれる出来事でした。
「被介護コンプレックス」
介護される人が〈遠慮〉に端を発して、「自分は家族の負担、お荷物になっている」「金食い虫だ」という〈自己卑下〉、「こんな自分は生きていても仕方ない」「死んだ方がましだ」「1日も早く死にたい」という〈自己否定〉へとつながる。