何がいちばん大切か……#38

10年前に夫の父親が他界したのを機に、実家を建直し義母との同居生活をはじめました。
一軒の家といっても、義母と私たち夫婦親子の生活スペースは分離して、台所とLDKを共用スペースにすることでつかず離れず、お互いに気兼ねすることなく、それぞれの生活スタイルが守れるように工夫しました。
義母は自分の息子には厳しいけれど、私や、もちろん孫にはとても優しい理想的な姑(しゅうとめ)でした。私は、義母と毎日のように台所に立ち、いろんな会話を楽しみながら暮らしていました。平凡ではあるけれど幸せな日々でした。幸いなことに私と義母は背格好も似ていて、流し台の高さなど各部のこまごまとした寸法、サイズは、ほとんど希望が一致しました。 夫は私たちを「ドングリの背比べでよかったな。これが凸凹コンビなら流しの高さで嫁姑の闘いだったな」などと笑います。
たまに夫に台所仕事を手伝ってというと、「高さが合わなくて腰が痛いから……」とか「肩こりがひどくなるから」と、笑うだけで動こうとしません。
「あんなこと言って、手伝うのが面倒くさいのよ」
義母と台所に並んで夫の悪口を言い合いながら笑うのです。
でも、夫の言うことにも一理ありました。私と義母は、自分たちの背丈に合わせて流し台の高さを決めたので平気で体を動かし続けることができますが、私たちよりずっと背の高い夫には苦痛でしかなかったのです。
そのことを私は後に思い知らされることになります。

3年前、義母は脳梗塞で倒れました。76歳の誕生日の朝でした。幸い症状は軽く、入院も4カ月と思っていたよりも早く退院できました。左半身にマヒは残ったものの要介護認定の結果は要介護2。寝返り、起き上がり、立ち上がり、歩行、移乗など、〈何かにつかまればできる〉という状態でした。お医者様も「根気よくリハビリを続ければ、自力で歩けるようになりますよ」と励まして下さいました。
根っから明るくて元気な義母は、「家事もリハビリのうち。炊事も洗濯も掃除も今までどおりやるからね」と、とても前向きでした。住宅改修は義母の意向もあり最低限にとどめました。
夫は可動式の手すりを付けようと言いましたが、義母は拒みました。
「できるだけ自力で動きたい。壁やタンスにつかまって移動すればいい。その方が訓練になる」
と。立ち上がりや歩行など、何かにつかまればできるとはいうものの、長時間立っていたり、長い距離を移動したりはやはり困難でしたし、何より転倒する危険があると、周囲は不安でした。
義母はそんな周囲をよそに、手すりも要らない、補助具も要らないと言って聞きませんでした。
「私を病人や障がい者だと思わないで!」
と。
自宅での療養生活を初めて半年目、義母が突然言い出しました。
「流し台をもっと低くしてくれないかしら。改修の費用は私が出しますから」
義母は退院後毎日のように台所仕事を手伝ってくれました。もちろん倒れる前のようにはいきませんでしたが、できる範囲でいろんなことをしてくれました。
しかし悩みがあったのです。
義母は伝い歩きで台所に移動すると、流しの前に丸イスを置きからだを流し台に預けて座り、両手をシンクの上に突き出して洗い物などをしていました。しかし、からだを流し台にまっすぐ向けて座ると膝が邪魔をして十分近づけないので、下半身は横を向き、上半身だけ前を向くという無理な体勢をとっていました。
そのうちよほど辛くなったのでしょう、流し台下の収納の扉を開け、そこへ膝から下を入れるようになりました。しかしそれでも流し台は高かったのです。
「せめて食卓の高さか、それより少し低いくらいなら私には楽に使えるわ」
それはおよそ20センチ低くするということです。もしそんなことになったら、私にとってはとても使いづらいものになるはずです。
しかし、夫は「わかった。まず調べてみよう」と答えました。試しに20センチほどの踏み台を置いて、その上に立って洗い物をしてみましたが、数分で腰に大きな負担を感じました。私は激しく動揺して義母のいないところで夫に詰め寄りましたが、彼は「まあまあ。とりあえず1度工務店さんに来てもらおう」と言うだけでした。
そして工務店さんが来てくれた日、義母は意気揚々と流しの高さに注文を付けました。そしてこう言ったのです。
「できれば使う人によって高さを調節できるような流し台がいいわ。恵子さんも私も楽だし」
工務店さんはとても申し訳なさそうに言いました。
「今のところ既製品でそういうものはないのです。別注品ということになり、とてもお高いものになりますが……」
結局結論の出ないままその日の話は終わりました。
「私にはもうこの家で役立てることは何もなくなったわ。結局あなた方のお世話になるだけ。お炊事のお手伝いもできないなんて……」
義母はひどく落胆したようでした。
すると夫がいつになく真面目な表情で言いました。
「母さん。工務店さんは、流し台下の収納部分を空けて足が入るようにすることは簡単だって言っていたよ」
「だけどそれじゃあ高さが合わないのよ。イスの上で背伸びしないと水道の蛇口にも手が届かないの」
「だったらイスの高さを調節できるようにすればいいよ。勉強机のイスだって高さ調節できるよ」
「あれは微妙な高さ調節ができないのよ……」
「これを見て」と夫が取り出したのは「福祉用具」のカタログでした。夫が開いたページには「座面昇降座椅子」が載っていました。義母が絶対に嫌だと言った「補助具」です。
「母さんは嫌がるかもしれないけど、単なる道具じゃないか。何がいちばんしたいのか、何を大切にしたいのか考えようよ」夫はこんこんと義母を説得しました。
「これを使うことで母さんはやりたいことができるし、ぼくら家族にとってはそれでも母さんが元気で明るく台所にいてくれる方がうれしいんだよ。座っていて立ち上がるときなんか、タンスやイスにつかまるのはとても危なくて見てられないんだ。これならすっと立てるよ。あとは壁を伝えばいい。それに……、ぼくはショールームで試してきたんだけど、とっても快適だよ」
夫は最初からそう話すつもりだったようです。義母が言い出すずいぶん前に工務店さんに相談していたことや、「座面昇降座椅子」をショールームに見に行っていたことは後になって話してくれました。
「家の中で人目を気にしたって仕方ないじゃないか。前向きに1日でも元気に一緒に楽しく暮らすために何ができるか、何が必要か。それを見つけるのってそんな難しいことじゃないと思う。簡単にわかるよ」
「どうして簡単なの?」
「だってここ数カ月、君と母さんは台所にいても全然楽しそうじゃなかったじゃないか。笑顔がなかったよ」
言われてみれば居心地が悪いというか、お互いに気をつかい、遠慮し、言いたいことも言えない、したいようにもできない、そんな毎日を過ごしていたような気がしました。
「道具って使い用だよ。何のために使うか、それをちゃんと考えれば、その道具が持っている機能以上の力を引き出すことができるんだよ。便利、安全、快適、笑顔ってね」
「座面昇降座椅子」のお陰で、私と義母は以前のように台所で楽しく過ごしています。
夫は相変わらず「高さが合わなくて腰が痛いから……」とか「肩こりがひどくなるから」とか言い台所には立とうとしません。私たちも相変わらずそんな彼の悪口を言い合いながら笑っていますが、実はずいぶん頼りになる人だと私は密かに見直しています。
ひょっとすると、これも補助具、福祉用具の力かも……。
