~白杖のつぶやき~(番外編)

そう、視覚障害をもった人がまち中を歩くときかならず携えている白い杖です。色が白いので「白杖」と呼ばれていますが、身体障害者福祉法や福祉用具の分類では「盲人安全つえ」というのが正式な名称だそうです。
私の役割は、大きく3つあると言われています。
まず、前方や周囲の安全を確認すること。障害物や危険物が無いか確かめるのです。
次に安全に歩くための情報収集。触擦(しょくさつ)といいますが、路面に触れることで段差や歩道の切れ目などを察知するのです。
そして、「ここに視覚障害者がいるよ!」とドライバーや他の歩行者、近くにいる警察官などに知らせて、注意を促すこと。
「目の見える人」からすれば、私は「目の見えない人」のための道具という理解がほとんどですが、こうやって考えると「目の見える人」が「目の見えない人」を認識するための道具でもあるのです。
最近私は、自分の役割に関してちょっとした悩みを抱えています。
先日もそうでした。私が子どもさんの足に当たったとすごい剣幕で怒鳴るお母さんがいたのです。
「怪我をしたらどうするの! 危ないじゃないのよお!
もうちょっと気をつけて歩きなさい!」
十分気をつけて歩いているのですけどね。
私のご主人は、その子どもさんが泣き出したこともあって、
「すみません、お怪我はありませんでしたか……」
と気をつかっていましたが、私は、白杖をついた人が歩いてくるってわかったら、あなたも少しは注意を払ってくださいねってこころの中でつぶやきました。 でも、このお母さんにはわからないだろうなあって思いながら。
また別の日は、歩道に止めたバイクを叩いちゃって、お兄さんに叱られたこともあります。
「どこ叩いてんだよお」
って。
そのときも私のご主人は「すみません」ってつぶやいていたけれど、私はそうは思いませんでした。
歩道の真ん中に止めている方が悪いのよ!って。
だって、点字ブロックの上に、行く手を遮るようにバイクを止めるなんて。 いえ、バイクだけではありません、自転車だってそうだし、配達中の荷物を載せたカートだってそう。まちを美しくしようっていう鉢植えやフラワーポットだってそう。どうしたって私はそういう「モノ」に触れてしまうし、触れてその存在を知らせるのが私の仕事。
もし歩道や道路が安全なら、「目の見えない人」は私と点字ブロックさんだけを頼りにして、安心してどこにでも行けるはずです。
あなたに盲学校を訪れる機会があれば、こんなこと簡単にわかるはずです。盲学校の生徒さんたちは校内で、ほとんどが私の助け無しに、点字ブロックさんだけを頼りに移動しています。
もちろん曲がり角や、階段、段差だってありますし、柱だってあります。
生徒さん同士すれ違うことだって頻繁です。中には猛スピードで走る生徒さんも。だけど、大きな事故や問題はない。みんな安全に快適に学校生活をおくっているはずです。
当然のことですね。「目の見えない人」たちが過ごす場所だから、「目の見えない人」たちが、ちゃんと安全に過ごせるようになっているのです。
では、まちはどうなのでしょう。
大多数が「目の見える人」でできているまちは、少数の「目の見えない人」たちにあまり注意を払ってくれていないというのが、残念ながら実情のようです。
いえ、日常の暮らしで「目の見えない人」がいるなどということを、どれほどの人が意識しているでしょうか……。
私がもっと大きな声で「ここに視覚障害者がいるよ!」と叫べばいいのかもしれません。その叫びの1つが触擦なのですが、「目の見える人」たちは、それを「叩いた」とか、「当たった」とか、嫌な目で見るのです。
本来はまち全体が盲学校のように私に頼ることなく、安心して移動できるようになればなんの問題もないのです。
ほんとうの意味での「バリアフリー」ですね。
物理的にそれが望めないなら、せめて「こころのバリアフリー」だけでもって思うのは私だけでしょうか。
ほとんどの方はご存じないですが、道路交通法第14条に「目が見えない者、幼児、高齢者等の保護」という条項があります。そこにはこう定められています。
〈第十四条 目が見えない者(目が見えない者に準ずる者を含む。以下同じ。)は、道路を通行するときは、政令で定めるつえを携え、又は政令で定める盲導犬を連れていなければならない〉
「政令で定めるつえ」っていうのは私のことです。
これは何を言っているのかというと、私・白杖を持つ人は視覚障害者であり、その通行は最優先で保護され、様々な配慮をされるべき対象だということなのです。
こんなこと、法律で云々しなくても、社会全体がそういう雰囲気になればいいなあと思うし、いつか私が必要とされない社会、時代がくればいいなあと思っています。
じゃあ、次回は点字ブロックさんにつぶやいていただきましょう。
