人生を支える思い#45


あるご夫婦の話をしたいと思います。
ご主人は小浦茂さん(仮名/62歳)。奥さんは小浦淑恵さん(仮名/75歳)。
奥さんはひとまわり以上年上の姉さん女房。ご主人は宮崎の出身。奥さんは鹿児島。2人は鹿児島のとある町で小料理屋を営んでいました。
ご主人が板前さんで、奥さんは毎日着物で店に出る。おしどり夫婦もさることながら、味も近所では評判のお店でした。
「ずいぶん年が離れているでしょう」
私が2人にはじめて会った頃、淑恵さんはよく笑って言ったものでした。
「大恋愛の果てに一緒になったんですよ」茂さんも笑って応えました。
でも、その笑顔とは裏腹に、2人は「とても複雑な人生を歩んだ末」(淑恵さん)に偶然に出会い、そして人生をともにする決意をしたのです。
偶然を必然に変えたのです。
どう複雑だったかは2人とも語ろうとしませんでしたが、「残りの人生を2人きりで生きていくことを余儀なくさせるほど複雑だったのです」と茂さんから聞いたとき、その言葉にすべてが集約されていると思えてなりませんでした。
そんな2人の願いは、2人とも健康で末永く働き続けることでした。
「人生2人きりですからね。どっちかが寝たきりになったりしたら共倒れですから……。そうならないようにっていうのが唯一の願いでした」(茂さん)
しかしその願いは、かなえられることはありませんでした。
ある日淑恵さんは脳梗塞を発症し倒れてしまいます。右上下半身に麻痺が残り、介護認定では要支援2と判定されました。幸い寝たきりの状態にはなりませんでした。
杖をつけばなんとか自力で歩行できる状態でしたが、日常生活では多くの介助が必要となりましたし、何よりお店に立って仕事をするなどということはできませんでした。
茂さんは躊躇なく淑恵さん中心の暮らしを選択しました。
2人で守り育ててきたお店を閉じ、淑恵さんの世話や家事を一手に引き受け、その傍ら板前さんとしてよそのお店に勤めに出たのです。
そんな時、私はケアマネジャーとして2人に出会ったのです。
2人きりで生きていくということは、だれの力を借りることもなく、2人で助け合って生きていくということ。2人の姿を見るにつけ、私にはそういう覚悟のようなものが伝わってきました。
無理をすれば必ず共倒れにつながる。それだけは何があっても避けなければならないと思いました。
幸い淑恵さん方の姪御さんが時々手伝いに訪れてはくれましたが、十分な支援とは言えるほどではありませんでした。
私は民生委員さんとも連絡を取り、まわりのスタッフをも巻き込んで、「いつまでも2人で」というご夫婦の願いを後押しするケアプランをと考えましたが、茂さんは「もうちょっと自力で頑張りたい。私がちゃんと世話します」ときっぱり。
しかし、その矢先です。茂さんも脳梗塞で倒れてしまいました。
茂さんの症状は淑恵さんよりはるかに深刻で寝たきりの状態となり、もちろん自宅での療養・介護は不可能で、自宅から2キロ程度離れた病院に入院することになりました。
しかし淑恵さんは1分1秒でも茂さんの側にと強く思います。
今度は私が世話をする番だと言わんばかりに。
たった2キロの距離ですが、淑恵さんが杖をついて通うことは不可能でした。
淑恵さんは自費で電動車いすを購入し、自宅と茂さんの入院先を往復する毎日をはじめました。
朝は茂さんの顔を温かいタオルでふき、洗濯物を持ちかえって洗う。午後3時頃からまた出かけ、洗濯物をとどけ、面会時間いっぱいまで一緒に過ごす。そんな生活でした。
しかし、一緒にいたいという思いは強くても、淑恵さんも脳梗塞の後遺症を抱える身。その上、高血圧症も抱えており無理をしすぎるとひどい頭痛や倦怠感が現れ、寝込んでしまう心配もありました。しかし、
「主人のところに行ってあげたい」
そんな思いだけで無理を続けていたのです。
ヘルパーさんや私にも不調の訴えが多くなり、あまり無理をしないようにとお願いをするのですが、「待ってるかもね……」「私が行ってあげないとね」という言葉がすべてでした。
そんなある日、ヘルパーさんを通じて淑恵さんから連絡がありました。電動車いすが故障したのでなんとかしてくれないだろうかと。
淑恵さんの電動車いすは自費で購入されたものでしたが、希望を受けて介護保険でのレンタルにすることに同意していただきました。
淑恵さんが利用していた福祉用具事業所には使用していたものと同形の機種がなく、ショールームでいろいろと見ていただいて試乗していただきましたが、毎日のように2キロを往復していた慣れというものが大きく、どれも非常に乗りにくそうでした。
茂さんが入院する病院まで、いくつも信号を渡り大きな通りを横断したり、人の多い病院の廊下を運転したりするにはやはり慣れた機種でないとだめだと判断し、他の福祉用具事業所にも相談して、結局同じ機種の電動車いすを搬入していただきました。
しかし、私にはやはり不安がありました。 電動車いすを使って茂さんの面会に出かけることが淑恵さんの気持ち、日常の大きな支えになっていることは明白で、そのことを中心にしてケアプランを作成しましたが、そのことがまた淑恵さんに大きな無理を強いることになるのではないかと危惧していたのです。
その不安は現実のものとなってしまいました。
淑恵さんは度々体調を崩し、転倒をくり返すようになってしまったのです。それだけではなく、淑恵さんに認知症の症状が現れはじめ、服薬の自己管理ができなくなってしまいました。その結果入院することに。
もちろん次に私がしたことは、2人が一緒の病院・施設に入院・入所できるようにすることでした。
現在茂さん、淑恵さんご夫婦は同じ施設で療養生活を送っておられます。
同じ部屋ではありませんが、車いすで移動する際すれ違ったりすると、微かですがお互い笑顔で手をふる仕草をされるそうです。
2人きりではありませんが、一緒に生きていることには間違いないと思います。
そして2人の人生に、少しだけですが私も関わることができてよかったなと思います。
