好きな時間に1人で入りたい。風呂ってそういうものでしょ#54


ご利用者の願いと希望に寄り添う。
そのためにちゃんとした計画の下に適切な住宅改修や福祉用具を提案する。それが私たちの仕事であり、私たちに課せられた社会的使命です。
そのプロセスで大切なのは、ご利用者はもちろんご家族、ケアマネージャーさんなどとの緊密なコミュニケーションです。
私たちはその中で信頼を得るために真摯に話し合いを重ね、必要に応じてデモンストレーションを重ねるのですが、それがなかなか難しい。
そういう難しさを1つひとつ乗り越えて、疑問を納得と安心に変え、最後にご利用者、ご家族の笑顔に接したときに、喜びとともに大きな安堵を感じるのです。
ご利用者、ご家族に納得して頂き、安心していただくのもなかなか大変なのですが、全幅の信頼を寄せられるが故の難しい局面もあるのです。
そんなお話をしたいと思います。
山添洋吉さん(仮名)は87歳。奥様の和さん(87歳)と宮崎市で2人暮らしをされています。
ある日お2人の娘さんのお婿さん、つまり義理の息子さんが、都城営業所を訪ねてこられたことが発端でした。
「義父がお風呂に入れなくて困っている。なんとかならないだろうか」そう相談されたのでした。
都城営業所から連絡を受けた私は、洋吉さんご夫妻を訪問し、お2人から直接詳しい話を聞くことができました。
洋吉さんは5年前に腰の痛みを訴えて病院にかかったところ、脊柱管狭窄症と診断されました。
医師からはそのまま放置すると歩けなくなるとも指摘され手術をすすめられたそうですが、洋吉さんは頑として手術を受け容れませんでした。
その後症状は進行し医師の診断通り洋吉さんは歩けなくなりました。3年前のことでした。
洋吉さんは、ひと言で言えばとても自尊心の高い方でした。下半身は思うように動きませんでしたが、その分上半身、とりわけ腕の力が強く、障がいを持っているという事実は事実として、かといってすべてを介助に委ねることはなく、ギリギリのところまで自力ですることをめざしておられるようでした。
「したいことがあっても人手を煩わせてまですることはない」
洋吉さんからよくそう聞かされました。
聞けば太平洋戦争の末期に予科練に志願入隊し、出撃直前に終戦を迎えたとか。
洋吉さんには、私たちが想像しても想像しきれない、ギリギリのところで生き抜いてきたという自負があるのでしょう。
「自分に甘えたら終わりだ」
そのひと言にすべてが凝縮されていると思いました。
奥様が「この人は自分に厳しい人だから」と、ご主人である洋吉さんを見つめながら何度となくつぶやく姿が印象的でした。
洋吉さんは既に介護認定を受け、他のサービス提供事業者から室内移動用と外出用の車いす、座面昇降型の座いすをレンタルしていました。
ところが廊下を見ると、両側の壁のとても低い位置に手すりが取り付けられていました。どうしてこんなに低いところにと首を傾げていたら、奥様が教えてくれました。
洋吉さんは屋内を移動するときに、車いすではなく自作の道具を使っていたのです。板にキャスターを付けただけの簡単な道具です。
それに乗り、両手で漕いで移動するのです。廊下では両手で手すりを掴んで前へ後ろへ移動するのです。
車いすだったら乗り降りや移動に奥様の手を借りなければならない場面もあるでしょうが、これは洋吉さんが自分の身体にあわせて、自分でつくったもの。あらゆる場面で、自力で移動できるようにつくられているのです。
奥様に聞いたところ廊下の手すりは元々もっと高い位置に付けられていましたが、洋吉さんの強い希望で義理の息子さんが付け替えたそうです。
洋吉さんは、その自作用具を使って私の目の前で移乗と移動を実際にして見せてくれました。
畳の面からその座面までは高々10センチほどでしたが、それでも移乗にはけっこう力が要るようでした。でも、いったん乗ってしまえば移動はスムーズに。私は、なるほど……、と感心しながらも、小さなショックを感じていたことも事実でした。
私たちの常識からすれば、座面昇降型の座いすと車いすを組み合わせればもっと楽に、快適なのに……、という思いがあったからです。
でも、その光景には、ひと言では説明できない洋吉さんのこころの中の「何か」が隠されていると思いました。
そう思うとその日、入浴用のリフトを提案しようと準備していたのですが、それでいいのかなという疑問、いえ、不安がよぎりました。
義理の息子さんの言う「お風呂に入れない」とは、浴槽につかれないということで、浴室に移動してシャワーを浴びることはできるということでした。
立位のとれない人が浴槽で入浴するためには、リフトがいちばんいいだろうというのが私たち営業所内での検討結果だったのですが……。
思ったとおり洋吉さんはリフトの提案にうなずくことはありませんでした。理由はいくつもありました。
「リフトの操作が難しそうだ」
「人の手を煩わせるのはいやだ」
「入りたいときに自分で入りたい」
「人に裸を見られるのはいやだ」
「リフトで吊られるのはみじめでいやだ」
「自分が情けない」
そうして最後に、 「そうまでしないと入れないなら、シャワーでいい」 と言ったきり黙り込んでしまいました。
奥様の話では、洋吉さんは毎日お風呂に入らないと落ち着かない人なのだと。そんな洋吉さんは自立できなくなってからの3年間、ずっとシャワーだけで過ごしてきたということでした。
浴室の洗い場に座りシャワーを浴びる洋吉さんの姿を思い浮かべて、わたしは胸が締めつけられる思いがしました。
「吊られるか、シャワーか、どちらかを選べと言われれば、躊躇なくシャワーと選ぶ」
そこには、洋吉さんが考える人間としての誇りと尊厳があるのだと思いました。それこそが洋吉さんにとって絶対に譲れないものだったのです。
触れてはいけない部分に触れたからでしょうか。洋吉さんの私たちに対する態度は、なかなか打ち解けたものにはならず、これから先、信頼を得るのは並大抵のことではないなと思いました。
そうして私たちの試行錯誤がはじまりました。
次に私たちの検討で浮上したのがドア付き浴槽でした。
これは浴槽の壁面に開閉型のドアを取り付け、浴槽のまたぎ高を解消したものです。高齢者や妊娠中の女性など、またぐことが危険で困難な人のために開発され、
「浴槽をまたぐ必要がなく簡単に浴槽内に入ることができる」
というのが大きなメリットとしてうたわれていました。
しかし一方で、何かにつかまれば自立できる人向けという前提もあり、果たしてつかまり立ちすら困難な洋吉さんに、有効に使っていただくことができるのかどうかが疑問でした。さらに今回のケースは介護保険の適用を受けられないので、予算の問題も大きな検討課題になりました。
私たちの中ではリフトが使えないなら、このドア付き浴槽が最善の解決方法だという認識はあったのですが、このようにいくつかの問題を抱えたことで、くどいほど慎重検討せざるを得なくなりました。
ご夫妻にお話しすると、ぜひとも試してみたいということで、早速デモをと考えましたが、これについてはすでに施工されている施設に出向くしか方法がなく、メーカーに連絡をとったところ有料老人ホーム、特別養護老人ホーム、そしてバリアフリーホテルの3つの施設を紹介してもらえました。
ご夫妻に同行をお願いして、時間をかけて1つひとつの現場で洋吉さんに実際に入れるかどうか試してもらいました。
洗い場から足を投げ出して座ったままの状態で、浴槽のドアを開け両腕をついて浴槽に入れるかどうか。床から浴槽の底までの高さは、浴槽自体を埋め込むことによって調節できるけれど、ドアの間口サイズは固定されていてひろげることはできない。洋吉さんの身体状況で、ほんとうに1人で、自力で浴槽に出入りできるかどうか。
洋吉さんには、お風呂に入りたいという強い思いがあったからでしょう。スムーズとはいかないまでも、なんとか自力で出入りができました。
しかもお湯がまったく入っていない状態でした。
洋吉さんも奥様も、
「お湯が入れば浮力もつくし、浴槽の中で身体の向きを変えるのももっと楽になるはず。これなら1人でお風呂に入れる」
と一気に期待がふくらみました。
洋吉さんも次第に打ち解けてくれて、「信頼しているから、すべておまかせするよ」と言ってもらえるようになりました。
全幅の信頼を寄せられるというのは、私たちにとってとても名誉なことです。しかし、それ故にとても責任が大きくなり、どうしても慎重にならざるを得ないのです。洋吉さんのケースがまさにそうでした。
慎重になるということは、それだけ時間がかかるということでもありました。 ご夫妻は、これでいつでも入りたいときにお風呂に入れると、とても喜んで工事の完成を待ち望んでいましたが、私たちは問題点を1つひとつクリアしていくのにじっくり時間をかけました。
施工前にすべての問題点をクリアにする。
それが私たちの目標でもありました。
完成後、実際に利用をはじめてから新しい問題点が見つかるというのは、それこそ洋吉さんご夫妻の喜びを半減させてしまうことだし、問題が大きければやっぱり使えないということにもなりかねません。
「信頼しているから、すべて任せるよ」という大きな信頼を裏切ることにもなるのです。
信頼されることが、これほど重いとは……。
「ここまできたらゆっくり時間をかけて検討しましょう」
私たちは逸る気持ちをおさえて、問題となりそうなあらゆるケースを想定して検討しました。そうこうしている間に、最初に相談に来られた義理の息子さんの海外勤務が決まり、娘さんご夫妻は洋吉さんが1人で入浴する光景を見ることなく渡航されました。
そうして洋吉さんご夫妻はもちろん私たちもすべて納得した上で施工にかかったのです。
完成したのは5月18日。それは娘さんの誕生日でもありました。初めて相談を受けてから半年が経っていました。
「1人でお風呂に入れたよ」と娘さんご夫婦に電話で伝えると、お2人とも我がことのように喜ばれたそうです。
特に娘さんは、その日がご自分の誕生日だったことも何かの巡り合わせだとおっしゃっていたということでした。 結果として洋吉さんのケースは、私たちにとって大きな成功事例となりました。しかし私は、洋吉さんご夫妻のうれしそうな顔を見た時、いっしょに喜びを感じるというよりも、寄せられた信頼にちゃんと答える事ができたという大きな安堵感を味わっていました。

新しくなった浴室には大きな窓がついています。浴槽に入ると庭がよく見えます。
「この庭を見ながら風呂に入るのが好きなんですよ」
完成後初めて訪問して、お湯のない状態でしたが浴槽に入る様子を見せてもらった時のことです。洋吉さんはそう言って笑いました。 奥様はその表情を見ながら、同じようにうれしそうです。
浴室に入り、ドアを開け浴槽に入る。ただそれだけのことですが、洋吉さんご本人にとってはそれだって簡単なことでないことは、その様子を見ていてわかりました。しかし、その現状はいかがですかとたずねたところ、 「満足しています」 という答えと笑顔が返ってきました。
「思い悩んで考えているばっかりでは、何もどうにもなりませんものねえ。やってみて、ダメなら考える。その繰り返しでいいんだと思いました」
奥様は浴室から少し離れた居間で、洋吉さんが入浴する様子を見守っているということです。
「できないことが少しずつできるようになる。それっていくつになってもうれしいことなんですよ。それも1度できなくなったことが、またできるようになったんですから、喜びも一入(ひとしお)ってこういうことなんですね」
その居間で、奥様がうれしそうに話してくれました。
ご自宅の離れにはプロの陶芸家も顔負けの工房があります。洋吉さんが定年退職後趣味の陶芸を楽しむために建てたそうです。趣味とはいうものの作品はすごいものばかりで、そこからは洋吉さんの情熱が伝わってくるような気がしました。その工房も、据えられた轆轤(ろくろ)も今は主の復帰を心待ちにしているといった感じです。
「1つひとつですね。またここで作品をつくれる日が必ずくると、私は思っています。もう1度お風呂に入れたっていうのは、そういう自信にもつながっていくと思います」
そういう奥様にも、また1つ大きな目標ができたんだろうなと思いました。
最後に、と洋吉さんにたずねました。
「手術を受けなかったことを後悔していませんか?」
「手術した方がよかったかなとは思う……」
「今度すすめられたら?」
「手術しようと思う」
「夢はなんですか?」
「もう1度自分の足で歩きたいな。すべて家内まかせで、ずいぶん負担をかけているから……」
その時、お2人を見て、ちゃんと寄り添っている夫婦って強いなあと思いました。その一方で、ご利用者の願いと希望に寄り添うことの大切さをもう1度胸に刻もうと、思いを新たにしました。


