歩行器だってうれしそう#58


79歳になる母の話です。
同い年の父を72歳で亡くし、しばらく1人で暮らしていたのですが、75歳になったのを機に長女である私を頼って、私たち夫婦と同居するようになりました。
私は57歳、夫は63歳。子どもたちは独立して家を離れ、「高齢者3人家族だな」と夫は笑いますが、それなりに楽しい日々を過ごしていました。
ところが3年前のことです。母が脳梗塞で倒れました。
朝目が覚めて起きようとすると少々頭が重くて、うまく立ち上がることができず、ようやく立ち上がると「ひどくめまいがする」というのです。でも、まさか母が脳梗塞で倒れるなどと思ってもいませんでした。
「血圧が高くなっているのかもね。寝ていたらたら治るかも」
日頃から血圧が高かった母にはよくそんなことがあったのです。
本人も側にいた私たちもそんなに重大なことだとは思いもよりませんでした。ところが、いつまでたっても起きてこないので心配になって様子を見にいくと、目覚めてはいるのですが、身体を起こすことができないし、うまく言葉を発することもできないという状態でした。
あわてて救急車を呼び病院に搬送してもらったのですが、診断の結果脳梗塞でした。
お医者様からは、朝体調に違和感を感じた時にすぐ病院に駆けつけるべきだったと指摘され、私自身ずいぶん落ち込んだことを覚えています。
半年間入院して治療、リハビリを続けた結果、言葉はうまくしゃべれるようになりましたが、左下半身に軽度の麻痺が残りました。しかし、退院目前には椅子に座った状態からだと何かにつかまれば自分で立てるし、一旦立ってしまえば手すりや身体を支えるものがあれば自力で移動できるところまで回復しました。
介護認定の結果は要介護1と認定されましたが、母はそれが不満で「私はなんでもできるわよ。手助けしてもらえるのはありがたいけれど、私よりも不自由な人に手を貸してあげて」とことあるごとに言い張ったものです。
ところが担当のお医者様からは「娘さんもいっしょに今後のことをお話ししたい」と言われ、その時、お医者様は母にというより、私に語りかけるように告げられました。
それは意気軒昂な母には、ずいぶん厳しいものでした。
「お母さんは骨粗しょう症の傾向が見られます。日常の動作にくれぐれも注意を払ってくださいね。転んだり尻餅をついたりするだけで骨折する可能性も否定できませんからね。起居動作は慎重に。左足に麻痺が残っているわけで、たとえば右足を骨折すると寝たきりになってしまう可能性だってありますよ」
「先生、そんなに脅かさないで」
と笑う母に、お医者様はピシッと言われました。
「脅かしなんかじゃありません。お母さんの年になると、骨折すると回復も遅いですから。ほんとうに寝たきりになりますよ。ちゃんとリハビリを続けて筋力、体力を回復してください。お家に帰っても、ほんとうに日々の暮らしには注意を払ってくださいね」
と。
お医者様や作業療法士さんのすすめもあり、本来要介護1では認められないのですが、お医者様から尻餅・骨折を防止するために必要だとお口添えいただき、座面昇降型の座椅子をレンタルしました。
モーター付きのベッドも検討しましたが、「ほんとうに寝たきりの病人みたいで嫌だ」と母が言い張ったので、普通のベッドを購入しました。あわせて退院の日までに、玄関の土間と廊下との段差には上がり框を、廊下、トイレ、浴室には手すりを取り付けました。さらに敷居をすべて床と同じ高さにしてあらゆる段差を取り除きました。
母は「大袈裟だねえ」と笑っていましたが、お医者様のおっしゃったとおり念には念を入れて、徹底的に危険を取り除いたつもりでした。
そう、つもりだったのです……。
母はリハビリの一環だと週に3日デイサービスに通いだしました。
元気な時分はご近所やお友達のお宅によく出かけていました。ここだけの話ですが、父が亡くなってから時々はパチンコにも出かけていました。
お酒もカラオケも大好きだったのですが、お酒はきっぱりやめ、カラオケも誘ってくれるお友達もなく、自分から誘うこともできず、「それじゃあデイサービスにでも」と最初は仕方なく出かけていたようですが、そのうちに友達もでき、ずいぶん楽しみにしているようでした。
デイサービスに出かける日は、送迎の車が来る30分も前から玄関に腰を下ろして待つようになりました。 通いだしてはじめのうちはお医者様に言われたことが気になって、迎えにきてくださる職員の方にはくれぐれも注意をしてほしいとお願いし、帰ってくる笑顔を見てほっと胸をなで下ろしていましたが、母の楽しそうな顔を見るにつけ、いつの間にかそんな心配はどこかに置き忘れてしまいました。
デイサービスに通うようになって半年が過ぎた頃でした。
いつもは送迎車がくる30分前には玄関先で待っているのですが、その日は準備に手間取りそうこうしている間に「おはようございます」という声が玄関に響きました。
「あわてなくていいからね」
という私の言葉を振り払うように、母はいつもの倍ほどのスピードで廊下を歩き、その勢いのままいつもなら左足から下ろすのに慌てていたからか、上がり框に右足を下ろしたのです。
「あっ」
母も私も送迎の担当さんも、同時に声を上げていました。
母の右足は上がり框を滑り落ち、母は廊下の端っこに尻餅をついたまま動けなくなってしまいました。
「どうぞなんでもありませんように」
心の中で一心に念じました。
しかし恐れていたことが現実になってしまったのです。
病院でレントゲンを撮ると左足の大腿骨が完全に折れていました。脳梗塞を診ていただいているお医者様やリハビリを担当していただいている作業療法士さんからは、「あれほど注意をするように言ったのに。あなたがもっとしっかりしないと……」と言われ、ずいぶん落ち込みました。
でも当然のことですが、私よりも母のショックの方が大きく、お医者様に何度も「寝たきりになりますか?」とたずねていました。
母はその10日後に手術を受けました。折れた骨を金属板とボルトでつなぐ手術です。お医者様は、「必ずよくなるから」と励ましてくださいました。でも母は内心「もうだめだ。2度と歩けない」と思っていたそうです。それだけ悲観していたということでしょう。
「退院しても車いすかなあ……。寝たきりだけにはなりたくない」
ことあるごとにそう漏らしていました。
するとお医者様はこう言って励ましてくださいました。
「お母さん、左足は元々麻痺があってうまく動かない方の足だったじゃないですか。右足で踏ん張って頑張ってきたじゃないですか。手術もうまくいったし、術後の経過もいいし、頑張ってリハビリを続ければまた自力で動けるようになりますよ」
その言葉にすがるかのように母はリハビリに精を出しました。
そうして骨折から半年、手すりを持つだけではさすがに頼りなさそうに見えましたが、うまく体重を支えることができれば自立して移動できるようになりました。
作業療法士さんにすすめてもらった6輪歩行器を、うまく使いこなせるようになったのです。
「80歳を目前にして、決してあきらめないし、前向きだし、見ているこちらの方が元気になりますよ。まだもっと頑張れそうだね」
お医者様もそう言って母の頑張りを後押ししてくださいました。
退院に先立って介護認定を受けなおしたところ、要介護2と認定されました。家に帰ってもできるだけ自力で動きたいという母のために、玄関にはリフト型の段差解消機を付け、屋内用の6輪歩行器と外出用の歩行器の2種類を揃えました。また、ちょっと遠出をする時のために車いすも用意しました。
寝たきりの姿なんてもちろん想像できませんし、母にはいつまでも外交的で外出好きのままでいてほしいと思ったのです。
退院して1週間、「デイサービスに行きたいわ」と母が言い出しました。
私はもう少し日常の生活に慣れてからと思っていたのですが、母は、1日でも早く行きたいという感じでした。でも私と夫は、骨折した時のことがあるのですぐには賛成できませんでした。もうちょっと落ち着いてからの方がいいのじゃないかと……。私たちが煮え切らないでいると母がつぶやくように言いました。
「お母さんね、好きな殿方がいるのよ」
「えっ?」
私は耳を疑いました。
「デイサービスでだけその人に会えるのよ」
母より5、6歳年下で、おしゃれで品のいい紳士だと照れるように笑いました。そしてこう続けたのです。
「どこかお父さんに似てらっしゃるのよ……」
「いいじゃない。行かせてあげようよ」
夫は笑いながら言いました。
私にも、もう反対する理由はありませんでした。
どこまでも前向きにリハビリに励んだ母を支えていたのは、恋だったのですから。
母は今日もいそいそとデイサービスに出かけていきました。
玄関から送迎車までは歩行器。デイサービスセンターに着くと、その男性が歩行器を押して出迎えてくれるそうです。
母が送迎車に乗った後、取り残された歩行器もなんだかうれしそうに見えます。
デイサービスから戻ると母は、1日の出来事を事細かに話してくれます。
母の恋が実るのか実らないのか、そんなことは神のみぞ知るですが、母のうれしそうな顔を見ると年を重ねるのも悪くはないなと思いました。
そして人生ってほんとうに長いのだなと思うのです。
