若い人には負けないわ#67

茶道師範 浅井靖子(55歳/仮名)
母、浅井晶子(あさいあきこ/仮名)80歳、茶道教授。矍鑠(かくしゃく)として、凛として、背筋もすっと伸びて動きも機敏。この人は本当に80歳なのだろうかと、誰もが疑う元気なおばあさんです。この「おばあさん」という言い方がすでに母には不満なのですが……。
「幼い頃からお茶一筋に厳しくお稽古を積んで生きてきたおかげです」
それが母の自慢であり、誇りでした。
長年茶道教授として、多くのお社中を抱え、週2回から3回は1日中座り続け一人ひとりと対面で丁寧にお稽古をつけるという、側で見るよりはるかにきつい重労働を続けてきました。しかも3階建の住まいの1階を教場(お茶室)、2階を生活の場、3階をお道具の収蔵庫として使い、日々1階から3階まで、時には重いお道具を抱えて昇り降りして過ごしていました。
「これも足腰を鍛えるのにちょうどいい」
いつかは膝をいためたり、階段を踏み外して怪我をしたりするのではないかと家族は心配したのですが、母は気にもとめませんでした。それは誰の目にも過信と映っていましたが、「気をつけてね」のひと言でさえ「年寄り扱いをする」とはねつけていました。
そうして事故は起きたのです。
お医者様の話では、手術をして折れた部分を金具で固定し、回復後その金具を取り除くための手術が必要で、そこまでにほぼ半年かかるということでした。金具を取り除かないまでも、普通に暮らせるようになるまでには数カ月の加療とリハビリが必要だろうと。
「とんでもない。それは困ります」
母はお医者様に抗いました。3カ月後に大切なお茶会が決まっていたのです。数年前から予定し、準備をしてきたので、キャンセルなどあり得ないと。お茶会当日はちゃんと着物を着てお茶席を務めなければならないのです。 しかし、抗っても仕方のないことは母にもわかっていましたが、
「リハビリを頑張りますから、1日も早く普通の生活に戻れるよう治してください」
と懇願したのです。
「傷を治すという意味では可能だと思いますが、長時間座って、しかも着物を着てとなると……。階段の上り下りだって、今までのようには行きませんよ。まあでも頑張りましょう……」
先生の言葉はとても歯切れの悪いものでした。
*水指(みずさし)
茶道具の1つ。お茶席中、お点前で釜に補給する水や、茶碗、茶筅などをすすぐ水を蓄えておく器。水差しとも書きます。

1回目の手術が済み、折れていた骨が金具で繋げられました。その翌日から母はリハビリをはじめました。痛いのをこらえながら必死に頑張っているという感じでした。
「あの歳でよく頑張りますね」
その頑張りは看護師さんや理学療法士さんが目をみはるほどでした。
母は自分なりのスケジュールを立てていました。1カ月で退院し、自宅で療養、リハビリを続け、お稽古を再開するというものでした。お医者様も、本人がそこまで言うのなら仕方ないなと。しかし家族としてはとても不安でした。
80歳という高齢で、回復にも時間がかかるだろうし、長時間の正座、階段の上り下りで、状態は悪化するのじゃないだろうか。急いで退院しても、結局あれもできない、これもできないと、サポートする私たち家族が振り回されるのではないか。そんな思いだったのです。
しかし母は頑固です。言い出したら誰の言葉にも耳を貸しません。
母は着々と準備を進めました。熱心にリハビリに取り組み、一方で退院後の生活のあり方について、理学療法士さん、作業療法士さんと相談を重ねていたようです。たとえばお稽古の際に正座を続けるのはやはり無理だろうと。ならば椅子に座る形をとり、必要なときに畳に座る。そのためにはどんな椅子がいいか、座面の高さはどれくらいがいいか、など事細かに決めていきました。
あたりまえのことですが、母の思いの中ではお稽古が大部分を占めていました。しかし家族としては、普段の生活の場面でも気になること、不安なことがたくさんありました。お風呂、トイレ、階段、玄関の上がり框*(あがりかまち)などに手すりが必要なのではないか。布団よりもベッドの方がいいのではないか。1人での遠出は無理だろうし、近所でも外出するときには杖がいるのではないか。考えるときりがありませんでした。
*上がり框(あがりかまち)
玄関で履物を脱いで跨ぎ上がる段差の上端に、水平に取り付けられる横木のことを言います。玄関の段差の上の床の仕上げ材端部を隠し、住まいの顔となる玄関をきれいに見せるという役割も果たしています。

そこで家族としては、お医者様と相談の上、母に提案をしました。
この際介護保険の介護認定を受けて、可能なサービスを利用してできるだけ負担を軽くしないかと。知り合いのケアマネジャーさんにも、個人的な相談として話を聞いてもらいました。ケアマネさんは、これからのこともあるので要介護度の認定だけでも受けておいたらとアドバイスをくれました。そこで私たち家族は、介護認定を受けること、サービスを利用して危険な箇所に手すりをつけることなどを母に話したのです。
「介護認定だなんてとんでもない。しかも手すりだなんて……」それが母の第一声でした。「ここは私の家です。私の好きなようにします。苦労するのは私です。自分の心配は自分でします。無用の心配は要りません」
予想はしていましたが、それが母の返事でした。
私は少々反省しました。心配を押し付けたかなと。茶道教授としての誇りと、歳はとってもまだまだ大丈夫だという自信が、「まだまだ若い者には負けない」という反発につながったように思います。その上に、娘というより茶道の弟子にあたる私に、年寄り扱いされたみたいで自尊心を傷つけたのだと。
一部始終を件のケアマネさんに報告しました。
「年寄り扱いするな! 若い者には負けない! そう思うのが歳をとった証拠なんだけどね」
彼女はそう言って笑い、母に直接会って話を聞いてくれることになりました。
当日ケアマネさんは、小島さんという男性を伴って入院先の病院に訪ねてこられました。彼の名刺には福祉用具専門相談員と福祉住環境コーディネーターという肩書きがありました。2人とも母の話をじっくり聞くことからはじめました。特に小島さんは聞くというより、母の本音を引き出すという感じでした。できること、できないこと、できるかできないか不安なこと。本当に丁寧にという感じでした。母も私相手とは違い、冷静にちゃんと話しているという感じでした。「どうしてこんな人たちを連れてきたの!」と拒絶されるかもしれないなと思っていたのですが、そんな風ではなく「私の話を聞いてください」と、その場を借りてずっと思っていたことを吐露するという感じだったのです。
私との場合だと、親子という関係が生み出す特別な感情が妨げになって、うまくコミュニケーションできていなかったのだなぁとつくづく感じました。
母がいちばん不安に思っていたのは、やはり教場での動作、振る舞いでした。お稽古の見守りは椅子に座ったままでできますが、お手本を示すときはそうはいきません。生徒さんに向き合ってちゃんと畳の上に正座しなければなりません。椅子から立って畳に座り、畳から立って椅子に腰をおろす。あるいはお茶室の中での移動もそうです。場所柄手すりをつけたり、置いたりすることはできません。しかも母の場合、安全に立ち座りするのはもちろんですが、凛とした振る舞いを大切にしたいという思いもあります。母は「頑張る」と言いますが、それで無理を重ねて状況が悪くなれば元も子もなくなります。体調がもとどおりになるまでは、少々人の手を借りたり、補助的な道具を使ったりしてもいいのではないか、それが私の思いでした。
「そのために、お茶室に合いそうな高価な椅子を選んだのよ」母が言いました。「手すりの代わりになるアームレストのついた椅子で、作業療法士さんに私に会う高さを測ってもらって、足を切ってぴったりにしてもらって」
「もっと楽をしましょうよ」微笑みながら母の話を聞いていた小島さんが言いました。「それじゃあ、立ち上がったり腰を下ろしたりするたびに、腰に負担がかかりますよ。頑張ることは大切なことだと思いますが、その頑張りがこの先のお茶会の成功につながればいいですけど、それまでにお稽古で疲れ果ててしまうんじゃないかと僕は心配です。要はやりたいこと、やらなければならないことが、ちゃんとできることが大切でしょ。頑張ることが目的ではないはずです。1回のお茶会で終わることじゃないですし、これからもずっとお茶を続けていただくためにも、もっと楽をすることが大切だと思います」
「楽ですか……」
「頑張ってヘトヘトになるより、楽をした方が楽しいですし」
もし私がそんなことを言ったら、母は「楽だなんて手を抜いてどうするの!」と怒っていたかもしれません。しかし母は、明らかに小島さんの話に耳を傾けはじめたのです。
「楽をするとは、具体的にどういうことですか?」
母がたずねました。小島さんはタブレットを取り出して、1台の椅子を見せてくれました。
〈電動起立補助椅子〉
母は険しい表情でそれに見入りました。
腰をおろす座面は床のレベル、つまり座椅子の状態から普通の椅子の状態、さらに膝がほぼ伸びる状態にまで上がるという機能を、実際に使われている動画で説明してもらいました。立ち上がりも楽そうだし、腰掛けるときも座面を上げておけば尻餅をつく心配もない。畳に座るときは座椅子の状態にすれば楽だし、椅子に戻るときも、立つときも、そのまま移乗すれば人の手を借りたり、手すりに頼ったりしなくてもいい。
母の表情が次第に緩んでいくのがわかりました。
「問題はお茶室に馴染むかどうかだわ」
「大丈夫ですよ。最近はデザインも豊富で、和室に合うものもたくさんあります」
価格も母が購入を考えていたものと同程度でした。
「そこでね、介護認定を受けたらどうかしら」
ケアマネさんがそう言うと、母の表情が少し曇りました。ケアマネさんはかまわず続けました。
「こんなことを言うと晶子さんは、まだまだ若い者には負けないって思うでしょう。だけど、そう思ったら歳なんですよ。気持ちにからだの動きがついてこない。だから怪我をしたんじゃないかしら。そこをご家族もみんな心配してるのよ。これから先、いくつになってもお茶の先生として若い人を育てていこうと思うなら、楽をしたらいいし、そのために使えるものはなんでも使ったらいいですよ。でないと、靖子さんがしんどくなりますよ。そこも考えてくださいね」
これが私のひと言なら、母は猛然と反発していたでしょう。でもそのときは、その話を微笑みながら聞ける余裕もありました。
母は予定通り1カ月で退院し、自宅で療養、リハビリを続けました。生活のかなりの部分は自分でできるようになりました。しかし長時間座り続けることはまだまだ無理だし、立ち上がりにも不安があります。果たして着物を着てお茶会に臨めるかどうかは不透明です。
しかし明らかに変わったことがあります。怪我以前の母は「若い人にはまだまだ負けない」と頑張る一方でしたが、今では「生涯お茶を続けるために、頑張りすぎずに楽をするわ」とずいぶん肩の力が抜けて、ゆとりが出てきたようです。そのせいか、お点前の所作が凛としつつも優雅により美しくなったような気がします。

教場では小島さんがすすめてくれた〈電動起立補助椅子〉が活躍しています。
実のところ母は、骨折部を固定する金具を取り除くための再手術が必要な患者であり療養者です。しかしずいぶん表情も明るくなったし、お稽古にも前にも増して張りが出てきたようです。
「電動起立補助椅子、元気になったら返す?」そう聞いてみました。
「楽ちんだからそのまま使わせてもらうわ」と笑う母。
いつまでも元気で矍鑠としていてほしいと思いますが、加齢によるからだの衰えは誰にも避けて通ることはできません。そのことをカバーしながら、充実した毎日を過ごしてほしい。いつまでも凛としたお茶の先生、先輩でいてほしいと思います。
ある日、母からこんなひと言が飛び出しました。
「お風呂とおトイレに手すりをつけようかしら」
どの口が言っているんだと私が思ったのはもちろんです。
「ここはお母さんの家だし、自分の心配は自分でするんだからいいんじゃない。私は心配しないから」
皮肉を込めて冗談っぽく答えると、母は照れ臭そうに笑いました。
それを聞いて歳を重ねるということは、難しいことなのだと思いました。でも肩の力を抜いて、毎日を明るく楽しく生きることで、人生充実しそうな気もします。そのためには、ケアマネジャーさんや福祉用具専門相談員と福祉住環境コーディネーターのような専門的な知識を持ってサポートしてくれる人はもちろんのこと、電動起立補助椅子のような福祉用具のちからも借りることはとても大切なことなのだと。
「楽(らく)は楽しいって書くでしょ。強がって無理して頑張らなくていいのよ」
そう言って母は笑いました。歳を重ねるというのは、難しいけれど楽しいことかもしれませんね。